三浦しをんのデビュー作
三浦しをんらしさ、らしくなさ
作家ならではの個性――作家性というのは、一体いつ露見するものであろうか。
少なくとも、三浦しをんは就職活動においてすでにその作家性の片鱗を見せていたのだろう。三浦しをんは出版社の採用試験での論文を機に、編集部で才能を認められ作家デビューを果たした。以降はめざましい活躍を見せ、『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞を、『舟を編む』で本屋大賞を受賞するに至る。
しかし、デビュー作『格闘する者に○』では、三浦しをんの才能の一つである「独自の目線による着眼点」こそめざましいものの、作家性に関してはイマイチ目立っていない。これを裏付けるように、三浦しをんはデビュー以来長く、自分の画きたいものについて苦悩していた、という話がある。
本稿では、日本を代表する文学作家のデビュー作『格闘するものに○』について深く切り込むついでに、三浦しをんという作家が確立するまでに「そぎ落とされたモノ」と「伸びていったモノ」について考察していこうと思う。
まだたどたどしさが見られるデビュー作から今日に至るまで、三浦しをんという作家がどう完成されていったか。その過程を辿る旅だ。
三浦しをんのなかからそぎ落とされたモノ
ではまず、『格闘する者に○』における作家・三浦しをんのムダ(=そぎ落とされたモノ)について述べたいと思う。
三浦しをんの作品を愛読している方ならご存知だと思うが、彼女の作品はおおまかに、特定の職種を題材とした「お仕事小説」、三浦しをんの私生活を綴った「エッセイ」、そして平凡な女性を主人公とした「日常小説」に分類される。
『格闘する者に○』は、三番目の「日常小説」に分類される。就職活動に挑む女性の苦難と日常を描いた話だ。周囲の人間のトラブルに巻き込まれたり、漫画喫茶にいったりと実に三浦しをんらしいエピソード満載。
だが、デビュー以後に執筆された『星間商事株式会社社史編纂室』や『ロマンス小説の七日間』などといった「日常小説」に比べると、『格闘する者に○』はやはり劣る。というのも、作者の自己投影が過ぎるように思うからだ。
三浦しをんの「日常小説」の登場人物たちは、三浦しをん式ステレオタイプが多く登場する。マイペースな彼氏、文筆業の主人公、可愛くて魅力的な友達や同僚……こういった型にはまったキャラクターたちが、三浦しをんの「日常小説」には必ずといっていいほど登場する。
これは筆者の勝手な分析なのだが、「日常小説」の主人公たちは三浦しをんの性格や個性がそのまま反映されているように思う。可愛くて魅力的な友人たちはそのまま作者の友人(エッセイを見る限り、おそらくモデルは友人なのだろうと思っている)、マイペースな彼氏は三浦しをんの理想だ。
これは三浦しをんに限らず、女性作家・女性漫画家に非常に多い傾向である。もちろんそれの是と非を問う必要はなく、ただ作家を自然と追いかけていれば気づいてしまう程度の姑。
もちろん、『格闘する者に○』も例に漏れず、前述のような三浦しをん式ステレオタイプのキャラクターたちが登場する。
しかし以降の「日常小説」と違って、『格闘するものに○』は登場キャラが非常に多く、テンポが悪い。友人だけに留まらず、おじいちゃんの彼氏や弟や親たち。そして近所の人たちまで出てくるのだからまぁ多いのだ。
何故こういったことになったのかと言えば、先ほども述べたように三浦しをんの自己投影と理想が反映された結果だと筆者は考える。
以降の作品と比べて、『格闘する者に○』は肥大化した自己主張が溢れているのだ。あるいは、承認欲求が溢れていると思ってもいいかもしれない。
就職活動が上手くいかなかったことも三浦しをんそのままの経験を反映しているし、風変りな弟がいるのもそのまま。それに加えて弟の人間関係(ややBL意識)と自分を理解してくれる年配の彼氏、といった理想が付随されている。
この「私はこういった人間なの! そしてこういう夢があるの!」と言わんばかりの内容が、読んでいる側は重たく感じてしまうのだ。
もし素人が作った小説だったら、おそらく大した評価もされずに終わっただろう。しかしそこは未来の直木賞作家。多くの人の注目を受け、デビューを飾ったのである。例えるならダブルかき揚げ乗せ天丼を美味いと思うかくどいと思うか、その程度の違いだ。
しかし、デビュー以降はこの「理想」部分が徐々にそぎ落とされ、よりエンターテイメントに傾いた小説を次々と発信している。こういった面から見ても、三浦しをんの非凡な才能がわかるというものだ。自分の個性を消すことも、作家には必要な資質なのである。
伸びていったモノ
さて、前項ではそぎ落とされた「理想」について述べたが、次は伸びていったモノについて記述したいと思う。
『格闘する者に○』以降、執筆された三浦しをんの「日常小説」には、明らかな違いがある。それは前項でも述べた「理想」の削り落としと、もう一つ、本編では語られない「余韻」だ。
これについては、文章で伝えるのが非常に難しい。例えば「空気感」や「余韻」といった言葉で表現されるのだが、小説には見えるモノと見えないモノが存在する。物語の裏を想像する、とでも言えばいいのだろうが、三浦しをんはそれを表現することに、非常に長けている作家なのだ。
登場人物がいて、ちょっとした問題が起きる。そしてそれを解決する。起承転結をなぞらえながら、ちょっとの可笑しさとさっぱりとした読後感で、読者を満足させてくれる。例えるなら軽妙なイタリアンのコースを食べている感じ。
これが、『格闘する者に○』ではわずかにしか片鱗がなく、以降の三浦しをん「日常小説」で顕著に現れた、「伸びたモノ」なのである。
先ほども述べたが、こういった「短所を削り、長所を伸ばす」といった進化は、言うほど簡単ではない。
作家としての伸びしろがあったからこそ、今日の三浦しをんがあるのだろう。
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