3人の殺し屋達の正義を描くミステリーの魅力
結局ハッピーエンドなのか?
グラスホッパーに出てくる三人の主人公のうち2人は作品中に死んでしまう。生き残ったのは鈴木だけである。この三人の主人公の名前も皆生き物の名前になっているあたりも伊坂の小説の遊び心を感じる(鈴木は魚のスズキ)。結局鈴木は自分の悲願であった会社への復讐を一応は果たしたこととなる。フロイラインは事実上壊滅した。最後のシーンでは家庭教師の営業を偽った家の兄弟と再会している。この描写から過去のしがらみと別れる鈴木の心情が読み取れる。これによって鈴木が過去の妻のための復讐から自分のために人生を送れるようになったっことも読み取れると考える。つまりハッピーエンドといえると思う。この作品には多くの亡霊が出てきて生きている人間を苛ませる。鯨や蝉も亡霊に苦しんだ。亡霊とは過去への後悔や懺悔の気持ちのことであろう。亡霊から解放されたときに本当に自由に生きれるというのはこの作品に共通するテーマではないだろうか。
寺原の息子は殺されたのか?
作中で寺原の息子の死について明白に書かれている場所はない。しかし、寺原の息子と鯨が槿に殺されたことはほぼ確実だ。それは鈴木が訪れた家族が団員だったことが一番の理由になる。鯨も死んだときの描写で鈴木が誰かに押されたのかもしれないと暗にほのめかしていることから鈴木は尾行されていて槿が鯨を殺したと考えるのが自然であろう。結局、槿は「押し屋」で雇われていて団員と共に組んでいたのではないであろうか。
この作品のテーマは?
この作品には沢山の亡霊が出てくる。その亡霊たちは生きている人間に話しかけたり、時には悩ませる。作者の伊坂氏は人間の犯した罪を亡霊として浮かび上がらせている。鯨には議員秘書の亡霊や殺した蝉の亡霊が出てくる。いくら人を殺して自分に実害がなくても人間は結局良心の呵責に苛まれるし、死んでいった人々も形は無くなっても生きている人に残像のように影響を与える。悪いことをした場合だけでなく鈴木の妻のように時として勇気を与えることもある。これらのことから見えてくる作品のテーマは死んだ人間はそこで本当に死んでいるのか?というテーマだと考える。人は死んでも他人の脳内で記憶として生き続ける。そして犯した罪は消えることは無いということも伝えているように思える。主人公の鈴木は過去の妻の死の敵を討ち、自分の思いを遂げることで過去との決別に成功した。過去との決別や良心の呵責から抜け出すことがいかに難しいことかということもこの作品はテーマとしているのではなかろうか。
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