革新のための陣痛を経て、得たものとは
ララァとアムロだけが感じとることが出来た0.00001秒の永遠
「運命って残酷だよな」アムロレイは戦いのなかでララァスンと心を通わす内に諦観にも似た何かを見出す。18世紀の個人主義と自由主義を前提にしておきながら、現実には中央集権。だから、現実は、残酷だし理不尽。意図したタイミングで出逢えない人の悲しいまでの無力さ。もし、あの時、あの人がいなければ、あいつなんかが生きていたせいでなどと考えてしまう。アムロは、どうしようもない記憶と、淡い心を光年にのせてララァとのめぐりあいの意味を知る。
ラストシューティングに見る機械、無機物のおぞましさ
シャアのジオングが、アムロの乗るガンダムにビームライフルで、胸の、本来的にはモビルスーツのコクピットを射抜かれた時に、頭部のみで脱出し、渙発入れずガンダムの頭部を撃ち抜いても、たかがメインカメラをやられた程度ですんだこと。人間で仮定してみたらはっきり分かる。致命傷である。生存することは非情なまでに困難で、確実に死を招くことになる。しかし、この二機はどうしたことか、活動している。機械の持つ怖さ、おぞましさ、人間にはない無機物の特質、簡単には止まらないということはこういうことである。
脱出。
アニメ原作の最終タイトル名である。ア・バウア・クーからの脱出という意味と、アムロがもつ心の内側からの脱出という二重の意味があるのだと思うが、今作ではアニメ原作よりも強く外の世界に出ようとする力、心の内側に留まらず、他者を容認することの大切さ、だからこそ人と人はめぐりあい生きていけるんだと強く訴えかける予期しない力が働いていてそのことがリズムとして強く力を持っている。間違いないなくこれだけは言える。ガンダムには意図していない力学がずば抜けてプラスに作用している。
世の中に於ける成功とは他者を強く弾き飛ばすことなのか?
私は、絶対に違うとこの作品をみた後ではっきり言えてしまう。ラスト、アムロがコアファイターから脱出し、自身の帰りを待つ人びとの姿を見て涙を流したのを見て、高い意識レベルで、経済人的な成功は成功ではないと断言できる。もし、金や名誉、綺麗な女がトロフィーでそれを成功と言辞するならばこんなラストにはならんはずである。そうではなく、アムロのあの、涙は父と母を失い、唯一心を分かち合えると思えたララァとは死別、帰るべき場所を失った者がもう一度帰る場所が現れた証である。
アムロは誰の胸の中に飛び込んだのだろうか。
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