機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)の評価
機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)の感想
UCのニュータイプ論=人としての成熟が「分かり合う未来」を生む
アムロとララァが見た「ニュータイプ」という未来、それは誰も描けない理想なのか?「機動戦士ガンダムUC」(以下ユニコーンと呼ぶ)は、「機動戦士ガンダム」(以下ファーストと呼ぶ)からの流れでありながら、他のガンダム作品でほとんど深められなかった「ニュータイプ」という存在を真摯に扱った作品だ。1979年放送されたファーストではアムロ・レイの戦争における極限体験を通して人類が進むべき道として「ニュータイプ」という概念を提起した。これはエスパーや超人ではなく「人間同士が分かりあうために相互理解の能力が高まった姿」だったはずである。敵であるアムロとララァの精神が邂逅し、悲劇に終わるとはいえ、互いを理解しあう。ララァは死んでしまったけれど、最終局面で仲間たちを守るためにニュータイプ能力をフルに使うアムロ、そして未来を担うべき新世代:カツ・レツ・キッカたちが皆も気づかないうちにニュータイプとして覚醒し...この感想を読む
人物描写と主義主張の分析
性格が非常につかみやすい人物描写まず、バナージはもう「勇気ある少年」という名がふさわしいだろう。最初からユニコーンを預けられた時からその印象がありました。自分ならあそこでガンダムにのれないと思うから。だが、あそこでというか最初で父親、カーディアスが死ぬとは思わなかった。死ぬのがはやすぎる。ただ、息子思いであり、ガンダムをたくした父親心はほんんとうにすばらしい。今まで隠していたこと、自分が重い責任を持っていたことを想定するとやはり立派な父親であったのだろう。あの世界ではあのガンダムが未来への鍵であり、いわゆる世界をいいようにも悪いように変える武器である。それの行方を決める重要なポジションを守っていたカーディアスはバナージの父親としてはさすがの一言である。父親としての責任をはたしていないところはあるが、未来を考えての決断であったのだろう。1話目でそれをたくされ、父親の考えを悟り、行動にすぐ...この感想を読む