まほろばとは『真秀』のこと
『まほろば』は奈良のことだと思ってました
『まほろば』とは、広辞苑によれば『真秀』(マホ)に接尾語の(ラ)がついたもの、すぐれたよい所・国なのだそうだ。筆者によれば「まほろば」とは「まわりが山波にかこまれ、物成りがよく気持ちのいい野」で「もちろん、穀物がゆたかに稔っていなければならない」のだそうだ。
今までなんとなく『まほろば』は奈良のことだと思っていたので、少々驚いた。しかし『真秀』とは、なんてきれいな言葉なのだろう。食物を実らせ、生活を支える土地というものが、どんなに大切か、人に影響を与えているかを考えた、この言葉を使う筆者の洞察力を感じた。
今更の超大物作家に脱帽する
司馬遼太郎氏の本を読むのは初めてなので今更の大物作家です。今まで縁のなかった東北地方の旅行を考えていて、「街道をゆく」を読んでみた。サクサク読める名文でひねくれたところが全くなく、時系列的に淡々と語られていて、内容も臨場感もある、紀行文の名文です。
筆者が思いをはせている過去と筆者が歩いていた1990年代とわたしが読んでいる現在が縦線でつながっているような臨場感があり、古さを感じさせないところがすごい。
それは贔屓でしょう
筆者の性格がよいせいか、もしくは、当初は週刊朝日に連載された都合上なのか、批判的な文言は周到に避けられていて、微笑ましい。今どきなら、「津軽人はやっかみがきつい」と書くところを「津軽人の過度の含羞がそうさせるのかとも思える」なんて書き方になっています。そもそも縄文時代から豊だた土地を豊臣秀吉時代に津軽藩が稲作経済を持ちこんだことで貧しくなってしまったと持論を展開していて、そもそも東北は豊かなのだと主張されているけど、やっかみはやっかみでしょうと突っ込んで楽しめます。
木造駅の記述は好きだ
「東北といえば遮光器土偶でしょ」と思っているので、その辺りのことをどう書いているのか、興味があった、筆者は土偶については、詳しくないらしく、遺跡についてはなんともあっさりと記述している。木造駅はこの遮光器土偶が「映画の怪獣のように駅舎正面いっぱいに立ちはだかっている」そうだ。ネットで検索したら、この駅舎は今だ顕在だった。この駅をダシにして筆者は津軽人について語っていて、そちらは格別に楽しい、「津軽人の一般の気質として、過剰な反省と自己嫌悪、あるいは自己憐憫や自己矮小化があるとされるが~」と続いていく、悪口にならないのは大したものです。
太宰治と吉田松陰
太宰治と吉田松陰がよく出てくる。吉田松陰は東北を回った際に痕跡が多く残していて、また、生き残って偉くなった塾生が痕跡を作ったらしい、そういう後の事情のことは、年齢を重ねてから面白く読めるようになった。そういった意味でおじさんおばさん好きのする紀行文なのです。太宰治の引用が多いのは当然のことでしょう、中途半端にしか読んだことがなかったので、太宰治について、違う側面が見られてよかった、「桜桃」だけが太宰治じゃなかったと実感しています。
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