孤独でみじめでどこまでも自由な寄る辺ない日々を耽美的に描く
ウォン・カーウァイの映画に夢中だった
20代の頃、ウォン・カーウァイの映画と彼の映画の住人たちに夢中な時期がありました。90年代の初めからウォン・カーウァイは次々と新鮮な作品を発表していて、その耽美的でホープレスな世界観にすっかり魅了されていたのでした。カーウァイは香港人ですが、同じ中国系繋がりで初期のチャン・イーモウの作品にも同時期触れ、やはり強く心惹かれていました。
私にとっての中華圏映画の魅力とは、ひと言で言うと非常にある種あけすけで、むき出しであるということでした。それまで見て来たアメリカ映画やヨーロッパ映画にはない、内蔵を取り出して見せられたような生々しさと人間のどうしようもない業、同時に何としても行きて行くという中国人のしぶとさとたくましさの表現に圧倒された、というかほとんどショックで呆気に取られたという言い方が正確なのかもしれません。あまりのあけすけさにうんざりもするんだけれどどうしても目が離せない、そんな気持ちで次々と香港映画や中国映画をむさぼり見ていました。
当時のアジア映画ブームの中にあって、最も好きだったのがウォン・カーウァイ。そして彼の作品の中で特に深く印象に残り、何度も見た作品のひとつが「ブエノスアイレス」です。今回本当に久しぶりに作品を見直して、やは りこれはウォン・カーウァイがもっとも脂の乗っていた時期の素晴らしい作品だったのだなと感嘆しました。およそ20年前の作品ですが今も色褪せることな い、いやむしろ更に作品の凄みを改めてしみじみと実感しました。
カーウァイとドイルの織りなすケミストリー
クリストファー・ドイルとカ―ウァイのゴールデンコンビが非常に素晴らしく機能していたこの作品。作品中モノクロとカラーが幾度も入れ替わりますが、とても効果的で美しく、ドイルらしい刹那的なドラマティックな撮影に魅了されます。
ウォン・カーウァイは、それが良さではあるのですが、非常に陶酔して作るのです。時にちょっと笑ってしまいたくなるような気障さがあると思うのですが、しかしクリストファー・ドイルの撮影と合わさると、その嫌らしさが何とも言えず切ない、何かかけがえのないものに昇華されてしまう。カーウァイの映画の成功は、この二人の奇跡のような化学反応があってこそだったと思います。それぞれだけよりずっと素晴らしいものに成り得るというのが映画の素晴らしいところだと思います。
それだけに、コンビが解消されてからのカーウァイもドイルも、その後は残念ながら深く心に残る作品を作っているという印象がなく、残念だし、難しいものなのだなと感じています。カーウァイは巨匠ダリウス・コンジを起用し、「マイ・ブルーベリー・ナイツ」でハリウッド進出もしましたが、今ひとつ。「グランド・マスター」は非常に、非常に精緻で研ぎすまされた映像ではありましたが、自分には思わせぶりなばかりに感じられました。
とはいえ、今更コンビが復活すればいいということでもないのでしょう。もう時代も変わり、ウォン・カーウァイも年を取った。そしてレスリー・チャンも自ら命を絶ってしまった。「ブエノスアイレス」は色んな意味でこの時代の香港映画を代表する、唯一無二の作品のひとつなのだと思います。
孤独でみじめでどこまでも自由な若い日を生き抜くということ
この作品の魅力は、なんといってもブエノスアイレスという場所、そこで奏でられる南米の音楽。カエターノ・ヴェローゾやアストル・ピアソラの音楽に乗せて、孤絶した、どん底の状態にある恋人たちの寄る辺ない姿をひしひしと感じさせるところだと思います。
昼間はうだるように暑く、夜は凍えるように寒い。人々は訳の分からない言葉で怒鳴るようにして喋っている。この町に逃げるようにしてやってきた、捨て鉢みたいなふたりの男。妖艶ささえ感じさせるレスリー・チャン演じるウィンは自分の魅力を武器に投げやりに場当たり的に生きる。トニー・レオン演じるファイは本質的にはもっとちゃんとした人なのだけど、ウィンに引きずられるようにしてどこまでも堕ちて行くことをやめられない。
彼らの恋愛は「肉」の恋愛であって、そこにはポジティブな心の結びつきのようなものはない。お互いにうんざりしながら、体が求め合っている「肉」の恋愛の自堕落さと情けなさ、それでいて執着せずにはいられない悲しさが非常に良く出ていると思います。
主演のふたり、素晴らしかったです。レスリーは「そのまま」とはいえ、どうしようもなく魅力的なジゴロだったし、監督に「だまされて」ブエノスアイレスに連れて来られたトニーが、男同士の恋愛をこのように体当たりで、また深みをもって演じたのはさすがプロフェッショナルだと言うより他ないと思います。本当にこの映画のふたりは、幸せにはなり得ないがそれぞれに魅力的なカップルとして心に残っています。
そしてチャン・チェンも良かったなあ。淀んだ空気にさっと風が吹き抜けるような清潔感があって、余計なことは言わず思慮深く、まぶしいくらいに若くて。彼の存在を通してファイは生き直そうと思えた、希望の星みたいなチャン。
全編を通してタンゴを中心としたラテン音楽がとにかく印象的な作品ですが、エンディングだけはロックなのです。故ダニー・チャンが歌う「Happy Together」。この音楽のセンスにどこまでも痺れます。ブエノスアイレスから台北に戻って来たファイ。この音楽に乗せてモノレールに乗りながら映画は終わって行きますが、編集も研ぎすまされたスタイリッシュなエンディングになっています。
そしてこの映画に相応しい、絶望の中に希望が一握り混じったような気持ちになって、唐突にエンドロールに切り変わる。いつも泣きたいような気持ちになります。
それは何の涙なのだろう。初めて見た時から20年が経って、今回改めて感じたのは「ファイは危ういところを何とか自力でくぐり抜け、無心に働き、小さな希望の光をつかまえ、何はともあれサバイブした。新たなスタート地点に立つことができたのだ」ということでした。泣きたくなるのは、かつて自分もその危ういところを通り抜けた、その底なしの暗闇からなんとか這い上がって来たという記憶。みっともない人生かもしれないけれど、自分もファイも死なずに無事にサバイブしたのだという、その善きことに対する安堵の気持ちなのだと思い至りました。そういう意味では、この映画は私にとっての大切な青春映画なのだと思います。
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