そうだ、私も小川洋子が書くようなエッセイを書こう! - 犬のしっぽを撫でながらの感想

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犬のしっぽを撫でながら

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そうだ、私も小川洋子が書くようなエッセイを書こう!

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文章力
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ストーリー
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目次

小川洋子、メジャー化の波に乗るエッセイ!

2006年刊行の彼女の4作目のエッセイ集。2006年といえば彼女の代表作「博士の愛した数式」が映画化された年で、同作の2004年の読売文学賞と本屋大賞の2冠受賞に始まり、2005年は「海」で川端康成生賞を、2006年には「ミーナの行進」で谷崎潤一郎賞を取るなど、まさに乗りに乗った時期である。本書も巻頭に数式にまつわる話を集めていることから、映画化人気に乗っかって以前のエッセイもまとめて売れるうちに売っておこう、という集英社の意図が透けて見える刊行物ではある。しかし、そんなことは金の亡者どもが勝手にやっていることだ。我々小川洋子ファンは彼女のエッセイ集には必ず書き下ろしが入ることを知っている。たとえ既に読んだものとかぶるものがあっても、入手せずにはいられまい。本書では書き下ろし3篇と決して多くはないが(2011年刊行の「妄想気分」では10編も書き下ろしが掲載されている)、巻末の「自信満々の人々」などは彼女にしては珍しくたたみかけるようなビート系の爆笑ネタを書いている。(ビートは決して早くはなくやはり情景描写にこだわっているところは「さすが小川洋子」という感じだが)

この後対話集や書評中心のエッセイ集が発刊されるが、商業性が色濃くなる気配が否めない。そういう意味で本書は第一期小川洋子エッセイ集の頂点と私は考えている。

具体的にどのあたりが頂点か、それは以降に記する 

「作家として生きる」意思が見えるエッセイ

本エッセイ集収録内容の初出はもっとも古いものが1991年だが、その時期のものは1編のみ、さらに95年が1編、あとは99年以降のものだ。正直なところ90年代前半の彼女のエッセイはファンとしては面白いが、文体が固く自虐性が高いものが多い。まだ作家としての立場が確立していないためだろう。本作巻末では自分の自信のなさを笑いに変える術を披露しているが、ルーキー作家のころにはそれはまだ持っていないスキルだ。作家として長くやっていく、という硬い意思も見えにくかった。初のエッセイ集「妖精が舞い下りる夜」ではなんだかデビューしちゃって、連載の話が来たり、エッセイの話が来たりするけど、こんな私でいいの?という気配がありありと見える。可能な方は「妖精が・・・」と本書を読み比べていただきたい。作風の違いがはっきりと見え、作家小川洋子の成長ぶりが再確認できることを約束する。 

そうだ、エッセイを書こう

小川洋子のエッセイは何度も繰り返し読んでいるが、今日この文章を書くにあたり再読していると、なんだか猛烈に感動してきた。先日本サイトに彼女の「ことり」について書いたのだが、私はその中で彼女の文章表現の探求心について考察した。そのせいだろうか、文章が表す情景が以前より目に浮かぶような気がする。「俺もついにポーポー語の理解者になったか」と誰が聞くでもない冗談をつぶやきつつも、興奮が止まらない。彼女がフランスの出版社を訪問する話は以前は自分も作家デビューしてこんな経験がしてみたい、とうらやましく思ったものだが、今日は何かが違う。いや「何か」とかぼんやりしたことではない。ニセン氏のオフィスの本棚に小川洋子作品が並んでいる光景がはっきり見えたのだ。

ヴェネチアの読者からの手紙で彼の母親の「病室の風景をくっきりとを思い浮かべることができた。」という彼女の姿も目に浮かんできた。フーヴォー村の泉泥棒のことは彼女同様わからないままだが、「泉泥棒ってなんだ?」という彼女の興味とシンクロした気がした。

正直、彼女の小説は適当にページを開いてそこに記される情景を思い浮かべながら楽しむ、という読み方をしていたが、エッセイはどちらかといえば内容を見ていた。もちろん彼女の文章のうまさはエッセイでも変わらないことは認識しているし、それは本サイトでも何度も書いてきた。しかし、それが浅かったことを今日知った。彼女はエッセイでも惜しみなく小川ワールド特有の言葉選びをしていたのだ。ふと気になって巻末の各エッセイの初出データをもう一度確認する。自分が特に感動し驚いたエッセイは年代も提供した場所も様々だった。小川洋子はいつも全力の文章を提供している。私が気付かなかっただけなのだ。

「沈黙博物館」で妄想の世界の警備員に「ご機嫌いかがです?」とささやきながら頬をつつく、幾分透明な女性が見える。この女性は「ことり」に登場した図書館の司書かもしれない。首が細く、潤んでつやつやした唇、短く切りそろえられた髪、その彼女が少しドキドキしながらも、しかし妄想を抑えきれず、私の頬をつつく。プルプルが私の周りで何度も回転する。私は小川洋子とともにネガティブな気持ちにブレーキをかけず、心の中の「罵られ箱」を開ける。私に対する批判、失跡、蔑み、呪いの言葉、罵詈雑言がとめどなくあふれてくる。私はワールドカップの決勝戦でオウンゴールを自信たっぷりに決め、祖国を敗北に導いた愚か者だ。またある時は水泳の個人メドレーで泳法の順序を間違えて失格となったこともある。もはやどこかの山奥に隠遁するしかない。とめどなく映像が浮かぶ。隣にデビューしたばかりのまだ若い小川洋子がいる。いや、図書館の司書だろうか、あるいはバタフライ和文事務所の新人の女性かもしれない。だって欠けた活字を手に持っている。しかし目を凝らすとそれは虹色の蝸牛に変化していく。小川洋子の世界が止まらない。それほどに彼女の文章表現は的確で巧みだ。

私はここに決意した。彼女のようなエッセイを書こう。

今まで、軽いタッチでちょっとクスッと笑わせるのがエッセイだと思っていた。違う。日常の些末な出来事も、著名人が書くから作品と認知されると思っていた。それも違う。当たり前のはずなのに認識していなかったエッセイという文学ジャンルが、そこにあることを今知った。

今まで知った風な書き方で小川洋子のエッセイを語ってきた。それももう卒業だ。

彼女のような美しい文章を、しかしそうと意識させないように繰り出す、そんなエッセイストに、私はなりたい。

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