ごはんを食べなくては生きていけない訳で。
失恋を栄養にするのは悲しくなんてない
「肉だ、肉しかない。」
学生の頃、初めての失恋をした。そのときのわたしは、たいして知りもしない相手のことが好きで好きでどうしようもなくて、フラれたのはわたしが太っていて醜いからだと思った。少女漫画の主人公はみんな目が大きくて痩せているし、雑誌で見るモデルのキラキラした女の子たちは足が長くてどんな洋服でも似合う。だからせめて痩せようと思って母がせっかく作った夕飯をほとんど食べなくなったり、バイト先のまかないを断ったりした。お腹がぐうぐう鳴っているのに体重は一向に減らなくてどんどん気分が沈んでいった。一週間くらいして、もうだめだ、お腹がすいて死にそうと思ったときにわたしも協子と同じように思った。「肉だ、肉しかない。」って。お腹いっぱいになったら失恋したことなんかどうでも良くなってしまった。この話を読んでそのときのことを思い出して懐かしくなった。
大きくなっても思い出すような料理
「大きな蒸し器で蒸す丸ごとのかぼちゃ。ケーキのように切った一切れ。やったー、お宝料理だとはしゃいだちいさな晶。そうだ、大学生になっても、台所の鍋をのぞきこんであの子はやったー!と声をはずませた。」
ひとり暮らしを始めたとき、自分のためにご飯を作って自分ひとりで食べることってなんて味気ないのだろうかと思った。次第に鍋のままご飯を食べたり、買ってきたものを温めただけのものをぼそぼそと食べるようになった。「これが食べたい」という欲求がなくなってきて、毎日同じようなものを食べていても平気になってきて、こんなんじゃいけない!と狭いアパートに友人を呼べるだけ呼んで鍋パーティーをした。重いーって言いながら買ってきた白菜を丸ごと食べきって、まるで生き返ったように食欲が出た。今でも食べたい、と思うのは母が大皿にドーンと作った餃子とかちらし寿司。
この本を読みながら、わたしもいつか「かぼちゃの宝蒸し」のような料理を自分の子どものために作ってあげたいなと思った。
「こんだて帖」という言葉の温かさ
この本の話はショートストーリーに分かれているけれど、出てくる人々が繋がっていってストーリーが広がっていくのがおもしろい。そのなかにおいしそうな料理が顔を出すから、思わずよだれがでてきてしまう。
この本を読んで、家族とか夫婦って、家族だって言われたその日になるものじゃなくて、同じご飯を一緒に食べて、美味しいねって話しながら少しずつ月日を重ねて家族になっていくのだと感じた。巻末の料理の作り方もユーモアがあって微笑ましかった。
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