まるで素敵な絵本のよう
潜在的に刷り込まれている構造
例えば、童話を書くときの基本は「行って帰ってくるお話し」だと聞きます。行って帰ってくることは、子供にとって大冒険だと。冒険と言うと行くだけでいいような気もしますが、ちゃんと帰ってくることが冒険を冒険にしてくれます。帰る場所があるから頑張れる、ということでしょうか。そして、帰れるだろうか、という不安が物語を面白くします。大人の「起承転結」が、子供の「行って帰ってくる」にあたるわけです。
子供はまだ複雑なものを知りません。恋愛や上下関係、憎しみ悲しみ劣等感、経験しても、複雑なものを複雑に理解しません。複雑なものも単純に理解します。子供は自分のことを信じるしかないのです。まだ知恵が無いのだから仕方ありません。初めて見るものばかりです。だから、行って帰ることが素晴らしく面白いのです。どんなに怖いことがあっても、主人公は自分の家に帰ってくるから、子供たちは安心して本を読めます。主人公が帰ってきて良かった、と思うことが、本を読んで良かったという気持ちにつながります。
今作HEROも、行って帰ってくるお話だと思います。だから私たちは、刷り込みのように、このドラマを見て良かった面白かった、と満足するのではないでしょうか。当然、久利生は大人ですし、このドラマも童話ではありません。ですが、久利生は子供のような視点から事件に取り組み、行動を開始します。よくある事件のよくあるパターンと言わず、固定観念にとらわれない目で、調べます。新しく物を見る、というのは大人には難しいことです。新しく物を見たらどうなるか、を見るのが、このドラマの魅力でもあります。そして、視聴者も含めた大人たちは、久利生がちゃんと戻ってくるのか見守るのです。自分たちの所で、今度は大人の目に戻った久利生が、どうするのかを見届けるのです。子供の目・大人の目と二重に楽しみを与えてくれます。HEROは、そんな物語構造になっていると感じます。
キャラクターが画面を作っている
童話では擬人化された動物が配役されることがあります。ゾウとキリンとウサギと…。他には、クマだけが何頭も出てくる話や、猫は擬人化されて他は動物(例えば魚は水槽で飼われているなど)というパターンもあります。そんな中、違う動物たちがその特性を生かして登場するお話しのほうが分かり易く、目に愉しいと言えます。今作の世界観もそれに似ています。ゾウは大きくて鼻が長いのは、絶対なのです。それは、マスターは無口で何でも出せる、というのと同じで、身体的特徴としてではなくて、キャラクターの個性としての決めごとがあります。メインキャラクターの発言や行動が、性格に裏付けされているのが見ていて楽しいことの一つです。鉄板というやつです。キャラクターのすみ分けはドラマの中では珍しいことではありませんが、それにしても、はっきりとみんな違うのにどの人も嫌いになれないのが、すごいなあと、案外人間って素敵なんだな、なんて思ってしまいます。どの動物も、みんな揃って無言でご飯を食べる、そんな絵本の1ページがあるとすると、それは幸せな絵だと思います。作中にも、揃って食事をするシーンがありますが、ほぼ同じ動作であるにも関わらず、(また、それゆえになのか)非常にキャラクターがよく感じられます。事務所での食事のシーンは私の好きなカットです。地味な場面なのに、単色ではない、カラフルな感じがして不思議です。
カラフルは、明るくて放射状に力がほとばしるイメージですが、このドラマは、そんな雰囲気があります。「静」の場面でも、こちらを煽ってくるような「何か始まる」という期待感を与えてくれます。私たちはそういう気分に弱いのだと思います。普段はそういう気分ばかりでもいられないので、嬉しくなって元気が出てきます。まんまと作品に引き込まれるのです。この作品は、なぜかクスッと笑えるような、かわいらしい場面があちこちに仕込まれているのです。
なんだかほろりとしてしまう
ドラマHEROに関しては、本当はもう何も言うことが無いくらい、あちこちで語られているかと思います。人気作の上に、強く愛着を持たれている方が多いので。中には人生を左右された方もいらっしゃるほど、影響力を持つ作品です。勿論、強い思い入れを持って見なくても、十分に面白いドラマです。検事のドラマという目新しさもありますし(断然、弁護士のほうが多いですから)、勇気や希望や、真実や、弱きを助ける正義や、優しさ、そういう前に出る強くてきっぱりした元気が日本中を沸かせていたのに、私はそれとは逆ともいえるベクトルで、この作品を見ると、しーんと胸が鎮まる時があります。本来の素直さを取り戻せたように思うことがあります。どういうわけか、毎回「ほろっ」ときてしまう。ほっとするというより、ほろりとなる。すとんと自分に自分が帰ってくるような、そんな感覚に襲われます。人情話に感動するせいもあるでしょうが、久利生や雨宮のやり取りが、小学生みたいだから、懐かしくなるのかもしれません。
木村拓哉はいくつになっても
小学生みたいな感覚は大人になっても持ち続けているはずです。子供時代の素直さや無邪気さがが呼び起こされるのが、このドラマの不思議なところです。やはり、木村拓哉がそうさせるのでしょうか。木村拓哉を違う俳優に置き換えた想像をしてみると、印象の違うドラマになってしまいます。他の俳優は、その個性があるので、どんなに演技がうまくても、その人の久利生で、木村拓哉の久利生ではないです。他の俳優さんは久利生にはなれる。でも木村拓哉の久利生になれない。するとこのドラマは別のドラマになってしまうでしょう。ドラマや映画は、リメイクを見るのもまた一興なのですが、HEROは無理だなあと思います。見てみたいと思わないかもしれません。
映像作品
この作品が、映像作品でよかった。自分が見たままを残せるので。その時いた人がみんな死んでしまっても、映像だけはその時のままで残っている。それが冷凍保存なのか、熟成保存なのか、つまり、時がたって再び見た時に、今と同じ感覚を味わえるのか、古き良き作品として重厚さが出てくるのか、それ以前に、忘れられてしまっているのか…分かりませんが、その時になっても、木村拓哉の久利生は唯一無二でしょう。みんなでこのドラマを盛り上げよう!という雰囲気は、誰が作ったのか、テレビ局なのか、どこかの商売上手なのか、純粋にドラマのファンなのか、だけど、明らかに嘘無くヒットした作品なのは事実です。是非エンタテイメントの歴史に残って欲しいですね。きっと残るでしょう。はるか未来の人のヒーロー観も、今とさほど変わらないと思うのです。英雄はだからこそ英雄なのですから。
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