旧劇から、新劇へ
ロボットアニメと思われたが・・
1995年に放送を開始した新世紀エヴァンゲリオン。主人公シンジと2人の美少女が巨大ロボットを操り、人類の脅威である使徒と戦うストーリー展開が人気を博した。タイトルや設定に、心理学や宗教に関する用語が散りばめられ、放送開始当初は斬新なロボットアニメとして認識されていた。昭和の時代から連綿と続くロボットアニメの系譜―鉄人28号、マジンガーZ、機動戦士ガンダム―その流れを汲んでいるものと、誰もが思っていた。
そして、作中のキャラクター達も―エヴァの核心部分について知る一部の者以外は―エヴァを単なる巨大なロボットだと認識していた。しかし、物語が進むにつれて、そこが怪しくなってくる。ユイが初号機に取り込まれたことが明らかにされ、電源が喪失した状態で、ありえないはずの暴走が起き、きっと何かあるのだろうと多くの視聴者が思った。だが、答えをはっきりとは示さないのが、この作品の手法だった。
初回放送時に気付いた方は素晴らしいとしかいいようがない。冬月が大学で教鞭を執っていた頃の回想シーンだ。彼の研究室は形而上生物研究室。そしてエヴァの開発に多大な貢献をした碇ユイは、その研究室の学生だったのだ。つまり、エヴァの開発者は、機械工学ではなく、生物学を専門としていた。エヴァがロボットではないと推知するヒントはこの段階からすでに小出しの形で提示されていたことになる。ただそれも、物語が佳境に入る頃にはエヴァはロボットではなく人間なのだと、リツコの口から語られることとなる。
現実の話になるのだが、かつて、理系の花形といえば機械工学だった。メカが人間のあらゆる夢を叶えてくれると多くの人たちが考えていた。実際、あらゆる機械によって、私たちの暮らしはずいぶん便利になった。だが、今ではどうだろう。理系の花形は、生物学へとシフトしたと言っていい。バイオが人間のあらゆる夢を叶える時代がすぐそこまできている。DNA技術が創る、生物由来の素材や薬品。iPS細胞が拓く、医療分野の無限の可能性。まるで、エヴァンゲリオンという20世紀のアニメ作品が、21世紀の世界の様子を見通していたようで、少し怖いとさえ思う。みなさんはどう感じるだろうか。
3
エヴァンゲリオンを読み解くのに欠かせない数字だと筆者は考えている。主力3機のエヴァ、3人のパイロット、東方3賢人の名を冠したマギシステム、第3新東京市、全てを終局へと導くサードインパクト。
使徒、死海文書、生命の樹―この作品の設定に、聖書から着想を得ている部分があることは明らかだが、キリスト教の教理といえば三位一体だ。一般には父と子と聖霊を指すと言われている。このことからも、おそらく製作者の意図として、この数字は意識されているものと思われる。そして極めつけは、作品全体を覆い尽くす数々の三角関係だろう。
単純に男女の三角関係と考えてもらっていい。レイーシンジーアスカ、シンジ召集からサードインパクトまで。ユイ(レイ)ーゲンドウーナオコ、生物進化研究所からゲヒルンを経てナオコ自殺まで。ゲンドウーユイー冬月、ユイ学生時代から、ユイ消失まで。ミサトー加持ーリツコ、3人の大学時代。ミサトー加持ーアスカ、アスカがドイツでパイロットになってから、加持射殺まで。リツコーゲンドウーレイ(ユイ)、ナオコ自殺後から、リツコ射殺まで。
このようにドロドロした恋愛模様が描かれているが、特筆すべきはリツコだろう。亡き母と同じ男を愛し、最後は男にも母(人格を移植したCPU)にまでも裏切られて非業の死を遂げる。このアニメ、とてもではないが、子供向きとは言えない。
ただこれらは、考察対象というよりも、物語の起伏と深みを出すための演出方法と捉えるべきだろう。他にも隠れた「3」がないか、探してみるのもいいかもしれない。
大人のメロドラマ
上に挙げた三角関係のうち、ゲンドウーユイー冬月に否定的な考えを持つ方をたまに見かける。彼らは決まってこう言うのだ。確かに冬月はユイに好意を持っているが、それはあくまで先生の学生に対する、あるいは親子ほど年の離れた女性に抱くほのぼのとした感情であり、欲望の類ではないのだと。
そう思いたい気持ちはわかる。だが、ユイのシャツの脇からのぞく乳房に釘付けとなるなど、冬月センセイがユイを女として見ていたことがわかる表現はいくつもある。
他にも、ユイが学部の卒業を間近に控え、冬月と進路について話しているとき、ユイが永久就職を仄めかすのだが、そのときの冬月の表情に、心なしか勘違いめいたものを読み取ることもできたり、ゲンドウから結婚を知らせるハガキを受け取ったときの不愉快そのものといった様子も、冬月の人物像の輪郭を見事に浮かび上がらせている。
新劇場版、女の戦いへ
TVシリーズについて友人達と語るとき、人類補完計画に否定的なのは決まって女性だということが気になっていた。閉塞した人類を無へと還すゼーレのシナリオも、不完全な群体である人類を完全なる単体へと昇華させようとするゲンドウの計画も、ただ迷惑でしかないというのだ。言われてみれば確かにそうだが、男同士で語るとき、その発想は誰からも出てこなかった。
2007年、ヱヴァンゲリヲン新劇場版『序』、公開。
2009年、『破』
2012年、『Q』が公開される。
『Q』を観て驚いた。人類補完計画の阻止を目的とする組織ville。そのトップはミサトとリツコ、女性2人なのだ。
人類補完計画など迷惑以外の何物でもないというごく現実的な考え方が、作品に反映された。滅びを美化することを止めたとも言えるが、今までとは正反対の発想であり、これには何か理由があるはずだと思った。
ここで気が付いたのが、総監督庵野秀明氏のご結婚である。お相手は漫画家の安野モヨコ氏。そしてこれは全くの想像だが、『Q』の展開は、安野氏の影響があったのではないかと考える。こんな迷惑な計画なら命を懸けても止めるのが自然だと。全くな話だと庵野氏は膝を打つ。そんなやりとりを勝手に思い浮かべてみた。ひょっとしたら、次回作に答えらしきものが見つかるかもしれないなと、首を長くして待っている。
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