日常4割、虚実6割 作家乙一の日常日記
作者も作中で言っている通り、この作品を読む事で影響を受け自分の人生が変わる事も無い。乙一の日常を知る事によりほっこり出来る程度である。しかしながら彼の物事の捉え方や想像力はとても豊かで読んでいて楽しい。しっかり読み返してみると本当に平凡としか言い様のない日常生活の色を自由に変えられる乙一の実力は素晴らしい。
乙一の作品を初めて手に取ったのは彼のデビュー作品の「夏と花火とわたしの死体」と「優子」だった。あんまり小説を読まなかった若かりし私は乙一の得意とする叙述トリックを読み、凄い!と魅了されていったのである。別の作品「zoo」でも彼の得意のパターンで書かれた作品が幾つかあったが、徐々に見えてくる話の真相に、読み終わると感動のあまり大きくため息をついたものだ。乙一の評価についてネットで調べていると「ホラーの俊英」「せつなさの達人」「黒乙一 白乙一」等と呼ばれ。残虐な乙一は非常に才能豊かな若い小説家を連想するが、全ては乙一の作品の最後に書かれる「あとがき」によって崩される。あとがきとは作品が生まれるまでの苦悩や解説、秘話等が書かれている印象が強いが、乙一の書くあとがきは、作品とは無関係な事が多く虚実混じりの妄想に近い内容の時もあり、自分が思っていた小説家乙一のイメージは良い意味で崩された。そんな乙一のあとがきは水面下で有名になっていく。今回の小生物語は乙一のあとがきテイストを存分に残したまま、日記形式で書かれた日常4割、虚偽6割の作品である。
読み物のジャンルとしてはエッセイになるのだろうか?本来であれば作者が特別な場所で過ごした日々の発見や文化との交流、そこから成長した作者の思いなどが書かれるのではないのだろうか?作者も作中で述べているが、そんな体験は一切ない。作品の舞台は名古屋編と東京編に分かれている。しかしまったくと言っていい程に、作中で土地の利点が活かされていない。上京の理由に関しても後押しした理由は「ラジオの電波が入るから・・・・」と相変わらずの状態をキープしていてくれる。その結果、名古屋にいようが、東京に引っ越そうが、登場する地名が変わるくらいでやっている事は変わらないのである。舞台が変わろうと話の中心は乙一の脳内であり、我々は乙一の脳内フィルターから映し出される世界を拝見しているにすぎない。乙一のフィルターを通すとウオーターベットですら一つの世界を作り上げ次回作の骨組みとしてしまう。そういった部分は天性の小説家なのだろうか?定期的に行われる打ち合わせを兼ねた編集者との食事についても、餌付けと表現し卑屈なのか謙虚なのか分かり辛い乙一独自の捉え方で書かれている。今回の小生物語は白色でも黒色でもない、彼本来の姿である「灰色乙一」が適切な表現ではないかと読み返す度に感じるのであった。
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