今、改めてホームアローンを見る時代。 - ホーム・アローンの感想

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今、改めてホームアローンを見る時代。

4.04.0
映像
4.0
脚本
4.0
キャスト
5.0
音楽
4.0
演出
4.0

目次

家庭を守るために闘う、小さな兵士ケビン。

クリスマスの時期に家族旅行を予定したマカリスター一家。家族全員で行くはずが、トラブルから一家の中の男の子ケビンが旅行に置いてけぼりにされてしまう。そこへ旅行中の住宅の留守を狙った空き巣が、マカリスター家へ忍び込もうとし、ケビンは家を守ろうと一人で泥棒たちに立ち向かう。このときの姿が自分の家や自分の身など大切なものはきちんと自分で守るのだという、幼いながらも成熟した意識をピュアな心と一緒に持ち合わせた小さな家庭内兵士に見える。家族や家庭を愛しているゆえの強さを持った、愛のために闘い守る大人のようにも見えるのだ。大切な存在を守るとなったら、闘う。そう決意したケビンの決断から行動に移るまでの早さには恐れ入る。何も武装をして外敵から肉弾戦で攻防するということではない。ケビンと自分を照らし合わせたとき、自分には家族を守るために瞬時に何か行動を起こせるだろうか?と考えさせられるのだ。「守りたいのは山々なんだけどこういう犠牲が伴うのは嫌だ」などと一瞬でもためらいがあるうちは本物ではないのだな、と、本当に決意があれば自ずと行動が伴うものだと認識させられるからだ。幼いながらもあの手この手のバトル作戦を練る姿もまた印象的である。そこには、うまくいかなかったらどうしようなどという、その後の悪い想定をしての不安などみじんもないからだ。相手が自分よりも一回りも二回りも体格の大きい泥棒2人であろうが、ただケビンは今自分にできること、こうしようと思うことだけにのみ集中している姿を見せてくれる。ただ自分がそのときにできることに一生懸命尽くすことを知らされるシーンだ。何かと不安の時代と言われ、起こってもいないことをあれこれ心配しては心がざわめきがちな現代人には、この、今という点にのみ生きるエネルギーを注入するということが最も必要であるように思う。

心の扉を放たせ、先入観を払拭し合った小さな同胞たち。

いじわるな自分の兄から何かと恐ろしいイメージを植え付けられていた「殺人鬼のシャベルおじいさん」と、ケビンは教会で初めて交流をする。これまでの怖いイメージからケビンはおじいさんとの出会いに一瞬戸惑ったものの、おじいさんは怖い殺人鬼どころか、恐れも不安も優しさもある、ごく普通のおじいさんであることを知るケビン。おじいさんがごく普通にクリスマスの挨拶をケビンにしたことがきっかけで二人はお互いの身の上話しをし始め、ケビンのおじいさんに対する怖いイメージは壊れていった。おじいさんは自分の家族へ長いこと抱いている、連絡を取りたいが、相手にされなかったらどうしようという恐れさえ、初対面且つずっと年下のケビンに打ち明けた。ケビンはケビンでとても分かりやすいたとえやクラスメートの体験談などを交えて素直に自分の意見を話す。この人は年が違うから、この人はどうせ悪いイメージしかないから、という固定観念で決めつけてしまわず、年の差も気にせずに、二人はお互いの怖さを払拭し合う。それぞれピュアで同じ傷も恐れもある何も違わない一人の人間としてただ近づきあったというところが何とも学ばせられる場面だ。人と人との関係性が問い直されている今の時代なお一見の価値があるだろう。「もしうまくいかなかったら、そのときはあきらめればいいじゃない」と、おじいさんの不安に対して言っていたケビンの在り方は、その後泥棒たちとの格闘時にいっさいの不安がなかったことにつながる。小さな子供が大人相手の格闘に、まったく何の恐れもないはずはない。だけどケビンはただ自分のやるべきこと、できることにのみ集中した。実際、ケビンは泥棒たちに捕まってしまい、ピンチになった。だがこのおじいさんとケビンの関係は最後まで相互扶助的であり、おじいさんはケビンのピンチを助け、そしてケビンのアドバイスによりおじいさんは家族との感動的な再開を果たした。忘れてはならないのはこのときこの再開の様子をケビンが窓越しに笑顔で、おじいさんと家族一同をお祝いしている姿だ。

本当のクリスマスの意味

日本においてはクリスマスというと商業戦略ベースに乗っ取られ、ただ騒いでごちそうを食べて浮かれたひとときとして定着しがちだが、それは映画の舞台である本場アメリカでもやたらプレゼントを買うばかりの資本主義の現実的側面もあることを見ると、本来家族の日であることを映画中の泥棒の登場によってかえって示される気がする。二作目では泥棒のハリーが相棒のマーブに「クリスマスに一番儲かる店はどこだと思うか?」と質問したとき、マーブが「ケーキ屋じゃねえのか?」と答えてはばからないように、クリスマスの商業メイン化は90年代に遡ってなお衰えぬものだった。むしろ敢えて盗みの象徴である泥棒の存在を通して、パラドックスのようにクリスマスの本当の意味を盗むのは誰なのかを問いかけているのではないだろうか。留守中に忍び込む空き巣の泥棒が、クリスマスや家族の意味を分かっていない、もしくは大事なそれを、ケビンを置き去りにしたかのようにどこかに忘れてしまいがちな人々の心の中に忍び込んでくるから気をつけようと促しているかのようだ。クリスマスの本当の意味を思い起こさせる意識を簡単に奪っていく泥棒はいつだって資本主義の影響の中や自分の心の中にいるのだからと。子供たちにとっては、この映画はとくに泥棒とケビンの格闘シーンにはたくさん愉快なシーンがあって、笑いの絶えないおもしろい映画に思えるだろう。それが大人になってから敢えて再度別の視点から見直してみることで、既知の映画として同じストーリー展開を繰り広げながらも見えてくる景色が違ってくるかもしれない。何かと映画の中でも窓がクローズアップされるシーンが多く、窓を人々の心に見立てているかのようにも思える作品だ。




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