新島八重のプロフィール
本名 | 新島八重 |
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よみがな | にいじま やえ |
生年月日 | 弘化2年11月3日(1845年12月1日) |
性別 | 女性 |
国籍 | 日本 |
住まい | 会津→京都 |
所属 | 会津藩砲術師範・山本家の長女。 |
性格 | 自由奔放かつ男勝り。 |
ポリシー | 「ならぬことはならぬものです。」 |
特徴 | 米俵を軽く持ち上げるほどの腕力の持ち主。幼い頃から砲術に興味があり、父・権八に反対されながらも、兄・覚馬から銃の手ほどきを受け技能を伸ばし、新式銃の開発にも携わるようになる。鶴ヶ城籠城戦では男装して入城し、覚馬から贈られたスペンサー銃で戦い、活躍した。 |
物語上での目的 | 幼い頃は砲術に興味があり、兄・覚馬から銃の手ほどきを受け技能を伸ばす。兄の勧めもあり、川崎尚之助に嫁ぐ。鶴ヶ城籠城戦では男装で入城しスペンサー銃で戦う。会津藩降伏後、尚之助と離縁。兄に呼び寄せられ、家族と共に京都に移住し、女紅場で教師として働く。その後、新島襄と出会い婚約するが、クリスチャンと婚約したことで女紅場を解雇された。襄と再婚後は彼の興した同志社の経営に関わり、彼の最期を看取る。襄の死後、篤志看護婦人会に入会。日清戦争では看護婦として尽力し、終戦後にその活躍が評価され民間の女性初の受勲者となる。 |
八重の桜の他の登場キャラクター
八重の桜の感想
動乱の世に生きた、たくましい女性の姿
震災を経験して生まれた、新たな焦点としての大河東日本大震災を経験したから生み出された大河ドラマ。未曾有の大震災に見舞われた東北を元気付けるにふさわしい内容だった。会津藩砲術師範の娘に生まれ、のちの新島襄の妻となる八重は、歴史上あまり表で出てこない。しかし、その生き方は一本道で男勝り、決して負けない力強さが、復興への道を進める被災者を勇気付けるものである。幕末を描いた大河のひとつに篤姫があるが、同じ幕府側としても、頂点からまとめ上げた篤姫とは違った視点の現場の目線で描かれたことが、幕末の動乱をリアルに写し、会津の思いを人々に共感させたように感じる。白虎隊や新撰組など、幕末を語るのに会津は欠かせない要素であるが、思えば会津に焦点を当てた物語はこれまでなかったと思える。敗者としての会津から、幕末をどう見るのか。そして、現場にいた女性が何を訴えられるのか。新たな視野を広げてくれ、東北をおおいに...この感想を読む