山本権八のプロフィール
本名 | 山本権八 |
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よみがな | やまもと ごんぱち |
生年月日 | 文化6年(1809年)生まれ |
性別 | 男性 |
国籍 | 日本 |
住まい | 会津 |
所属 | 八重の父。会津藩砲術師範。もともと会津藩士・永岡家(150石)の生まれだが、文政9年(1826年)に同藩士であり鶴ヶ城下で近所に屋敷を持っていた良高権八の娘・佐久の婿となった。 |
価値観 | 「何かを変えるのは、たやすい事でねえ。いっぺんにはうまくいかねえ。そんじも、それが正しい事なら、何度でも何度でも願い出て、ちっとずつでも変えていく。」 |
物語上での目的 | 八重の砲術の才能を認めたが女子が砲術を学んでも活かす場が無いので、砲術を学ぶことに反対した。しかし、八重が隠れて鉄砲の勉強をしているのを黙認していた。会津城下に新政府軍が迫ると玄武隊の一人として戦う。八重が戦場で活躍する様子を見て「鉄砲を学んだことは間違いではなかったかもしんねえ」と感じた。その後、補給路確保のための決死隊を率いて米を城に運ぶことに成功するが、自身は途上で銃撃を受けて瀕死の状態になり、八重に「にしはわしの誇りだ。皆を守れ」と伝え、家族に看取られつつ息を引き取った。 |
享年 | 60歳 |
墓所 | 墓所は福島県会津若松市門田町の光明寺にあるほか、後に三女・八重が嫁いだ新島襄の創始した同志社の墓地にも存在する。 |
八重の桜の他の登場キャラクター
八重の桜の感想
動乱の世に生きた、たくましい女性の姿
震災を経験して生まれた、新たな焦点としての大河東日本大震災を経験したから生み出された大河ドラマ。未曾有の大震災に見舞われた東北を元気付けるにふさわしい内容だった。会津藩砲術師範の娘に生まれ、のちの新島襄の妻となる八重は、歴史上あまり表で出てこない。しかし、その生き方は一本道で男勝り、決して負けない力強さが、復興への道を進める被災者を勇気付けるものである。幕末を描いた大河のひとつに篤姫があるが、同じ幕府側としても、頂点からまとめ上げた篤姫とは違った視点の現場の目線で描かれたことが、幕末の動乱をリアルに写し、会津の思いを人々に共感させたように感じる。白虎隊や新撰組など、幕末を語るのに会津は欠かせない要素であるが、思えば会津に焦点を当てた物語はこれまでなかったと思える。敗者としての会津から、幕末をどう見るのか。そして、現場にいた女性が何を訴えられるのか。新たな視野を広げてくれ、東北をおおいに...この感想を読む