松平容保 - 八重の桜のキャラクター

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八重の桜

4.004.00
映像
4.50
脚本
3.50
キャスト
4.00
音楽
4.00
演出
3.50
感想数
1
観た人
1

松平容保のプロフィール

本名松平容保
よみがなまつだいら かたもり
生年月日天保6年12月29日(1836年2月15日)
性別男性
国籍日本
住まい会津→京都→会津
所属会津藩第9代藩主。幼名は銈之丞(けいのすけ)、官名は肥後守(ひごのかみ)。会津中将とも呼ばれる。
ポリシー「徳川御宗家と存亡を共にするのが会津の務め。是非に及ばぬ! このうえは、都を死に場所と心得、お役目を全うするよりほかはない。みな、覚悟を定め、わしに・・・わしに力を貸してくれ。」
物語上での目的美濃国高須藩に生まれ、12歳で会津藩主・松平容敬の養子となり、その跡を継ぐ。幕末情勢の混乱の中、幕府より京都守護職の就任要請を受け、当初は拒むも、藩祖・保科正之より伝わる会津家訓の精神を貫かんと、家臣らの強い反対を押し切って就任の決断を下す。新政府軍に降伏後は謹慎し、会津戦争の戦没者の冥福を祈る日々を過す。のちに高木時尾と藤田五郎の結婚の仲人を元家臣の佐川とともに務めたが病に倒れ、会津の名誉回復を山川兄弟に託して息を引き取った。
京都守護職就任着任当初は言路洞開路線をとって尊攘派との融和を図るが、彼らの真意が倒幕にある事を知ると一転して厳罰主義を採り、藩士や新選組を使い取り締まった。しかし、却って尊攘派の恨みを受け、また都で会津の武名が上がったことから幕府からも疑いの目を向けられる。藩の疲弊を理由として帰国を望むが叶わず、孝明天皇の崩御後は、王政復古や鳥羽・伏見の戦いを経て朝敵の汚名を受け、失意のうちに会津に帰国する。
会津戦争新政府には武備恭順の態度を示す一方で、万一に備えて軍制改革を行う。白河口が破られ、会津城下での戦いが必至となると会津は会津の手で守ると重臣らを奮い立たせたが、会津勢は苦戦を強いられ、苦渋の決断で降伏した。この直前、萱野権兵衛への伝令役という形で西郷頼母を城から追い出すが、これは彼に生きて会津の汚名をすすいで欲しいとの願いから下した決断である。そして彼の背中を見届けながら「生きよ…、頼母…」と無事を願っていた。

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八重の桜の感想

動乱の世に生きた、たくましい女性の姿

震災を経験して生まれた、新たな焦点としての大河東日本大震災を経験したから生み出された大河ドラマ。未曾有の大震災に見舞われた東北を元気付けるにふさわしい内容だった。会津藩砲術師範の娘に生まれ、のちの新島襄の妻となる八重は、歴史上あまり表で出てこない。しかし、その生き方は一本道で男勝り、決して負けない力強さが、復興への道を進める被災者を勇気付けるものである。幕末を描いた大河のひとつに篤姫があるが、同じ幕府側としても、頂点からまとめ上げた篤姫とは違った視点の現場の目線で描かれたことが、幕末の動乱をリアルに写し、会津の思いを人々に共感させたように感じる。白虎隊や新撰組など、幕末を語るのに会津は欠かせない要素であるが、思えば会津に焦点を当てた物語はこれまでなかったと思える。敗者としての会津から、幕末をどう見るのか。そして、現場にいた女性が何を訴えられるのか。新たな視野を広げてくれ、東北をおおいに...この感想を読む

4.04.0
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