川崎尚之助 - 八重の桜のキャラクター

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ドラマレビュー数 1,147件

八重の桜

4.004.00
映像
4.50
脚本
3.50
キャスト
4.00
音楽
4.00
演出
3.50
感想数
1
観た人
1

川崎尚之助のプロフィール

本名川崎尚之助
よみがなかわさき しょうのすけ
生年月日天保7年(1836年)11月
性別男性
国籍日本
住まい会津→猪苗代→斗南→東京
所属洋学者。元出石藩士。会津藩士。
価値観「強い力を持つ者は、初めは称えられ、次に恐れられ、末は憎しみの的となる。・・・覚馬さんも、それを恐れていました」「八重さんの夫になれた事が、私の人生の誇りです。もう二度とここに来てはいけません。あなたは新しい時を生きる人だ。・・・生きなさい」
八重との出会い・結婚まで江戸の象山塾で山本覚馬と知り合い、共に学ぶ。覚馬の人柄に惚れ込み、彼が設立する蘭学所に誘われて会津を訪れ、そのまま山本家の居候となって八重、覚馬と共に新式銃の開発を行う。藩への仕官が叶えば兵制改革がより一層進むと考えた覚馬から八重との縁談を勧められ、八重と夫婦となる。
八重との生活会津藩への仕官が叶い、会津が戦火に巻き込まれる可能性を予測し、覚馬の計画を基に防衛策を練る。会津藩の軍制洋式化を中心となって進め、梶原らと共に奥羽諸藩との交渉にも参加した。会津戦争では大砲隊を率いて戦い、八重と共に奮戦した。降伏後、猪苗代の謹慎所へ同行しようとした八重を逃がし、自らは謹慎所送りとなったのち斗南に渡った。斗南藩の窮乏を掬うため米取引を行ったが、詐欺に遭って告訴され藩の指示を疑う警察に、全て自分の一存によるものと証言して責任を一身に背負って裁判を戦うこととなり、八重には事情を話せぬまま離縁。
八重との離縁後東京で八重と再会し、夫婦でなくていいから側にいたいという八重の申し出に対し、裁判が終わったら必ず京都に行くと約束するが、病の悪化によって死去。八重の事を最期まで案じていた。生前、会津戦争の記録を綴った『會津戦記』をしたためており、後に山川兄弟がこれを基に『京都守護職始末』を編纂した。

八重の桜の他の登場キャラクター

八重の桜の感想

動乱の世に生きた、たくましい女性の姿

震災を経験して生まれた、新たな焦点としての大河東日本大震災を経験したから生み出された大河ドラマ。未曾有の大震災に見舞われた東北を元気付けるにふさわしい内容だった。会津藩砲術師範の娘に生まれ、のちの新島襄の妻となる八重は、歴史上あまり表で出てこない。しかし、その生き方は一本道で男勝り、決して負けない力強さが、復興への道を進める被災者を勇気付けるものである。幕末を描いた大河のひとつに篤姫があるが、同じ幕府側としても、頂点からまとめ上げた篤姫とは違った視点の現場の目線で描かれたことが、幕末の動乱をリアルに写し、会津の思いを人々に共感させたように感じる。白虎隊や新撰組など、幕末を語るのに会津は欠かせない要素であるが、思えば会津に焦点を当てた物語はこれまでなかったと思える。敗者としての会津から、幕末をどう見るのか。そして、現場にいた女性が何を訴えられるのか。新たな視野を広げてくれ、東北をおおいに...この感想を読む

4.04.0
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