山本佐久 - 八重の桜のキャラクター

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ドラマレビュー数 1,147件

八重の桜

4.004.00
映像
4.50
脚本
3.50
キャスト
4.00
音楽
4.00
演出
3.50
感想数
1
観た人
1

山本佐久のプロフィール

本名山本佐久
よみがなやまもと さく
生年月日文化6年(1809年)生まれ
性別女性
国籍日本
住まい会津→京都
所属八重の母。会津藩砲術指南役、山本左兵衛の長女として誕生。
性格気丈でとても聡明な女性で、覚馬は後年、「自分は母の聡明さには及ばない」と語っていた。
ポリシー教育熱心で、「自己を磨き、立派な行いをするよう努めれば、必ず社会に認められる日がくる」といつも子供らに言い聞かせていたという。また、近所の子と喧嘩ばかりしていた幼少期の覚馬に対し、「決して自分から仕掛けないこと。しかし、相手から挑まれたなら相手が飽きるまで対抗して、単に自らを守るだけでなく、進んで勝ちにいけ」という訓戒を垂れていたという。
特徴自分が良いと思った事は、新しいことも積極的に取り入れる進取の気性に富んでいた。当時、疱瘡は死の病と恐れられ、その疱瘡が会津城下で流行したときは、疱瘡の予防には種痘が効果的だということを知ると自ら進んでこれを受け八重や三郎にも種痘を受けさせたという。
物語上での目的八重が砲術を習いたがることに対し、女子が家事をやることの大切さを教え、鉄砲は女子がする役目ではないと諭した。家族と共に鶴ヶ城の籠城戦を戦い抜き、覚馬の生存を知ると八重・みねと共に京都へ渡り、同志社設立後は寮監を務めた。日清戦争の後、眠るようにして亡くなった。

八重の桜の他の登場キャラクター

八重の桜の感想

動乱の世に生きた、たくましい女性の姿

震災を経験して生まれた、新たな焦点としての大河東日本大震災を経験したから生み出された大河ドラマ。未曾有の大震災に見舞われた東北を元気付けるにふさわしい内容だった。会津藩砲術師範の娘に生まれ、のちの新島襄の妻となる八重は、歴史上あまり表で出てこない。しかし、その生き方は一本道で男勝り、決して負けない力強さが、復興への道を進める被災者を勇気付けるものである。幕末を描いた大河のひとつに篤姫があるが、同じ幕府側としても、頂点からまとめ上げた篤姫とは違った視点の現場の目線で描かれたことが、幕末の動乱をリアルに写し、会津の思いを人々に共感させたように感じる。白虎隊や新撰組など、幕末を語るのに会津は欠かせない要素であるが、思えば会津に焦点を当てた物語はこれまでなかったと思える。敗者としての会津から、幕末をどう見るのか。そして、現場にいた女性が何を訴えられるのか。新たな視野を広げてくれ、東北をおおいに...この感想を読む

4.04.0
  • sakanasakana
  • 90view
  • 2038文字
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