どこか深い安堵感で包み込んでくれるような、小川洋子の「沈黙博物館」
博物館を作るために、ある老婆に雇われた若い博物館技師は、採用され、その村に住むことになります。老婆が作りたいのは、この世のどこを探しても見つからない、それでいて絶対必要な博物館。しかし愚図は嫌いだという言葉とは裏腹に、老婆は何のための博物館を作るつもりなのか、なかなか明らかにしないのです。それでも月が満ち始めたある日、突然技師の仕事が始まります。
登場人物たちは「老婆」「少女」「家政婦」「庭師」という記号のみで語られ、本当の名前が登場することはありませんし、舞台となる場所についても、固有名詞は「沈黙博物館」という名前だけです。技師から兄への手紙には新学期が春に始まると書かれているのですが、技師は老婆の家に入る前に玄関マットで靴を念入りに拭っていますし、屋敷の地下のビリヤード・ルームや100頭以上の馬が入ることのできる石造りの立派な厩舎の存在など、到底日本とは思えない雰囲気。しかしごく平凡で静かな村のように見えながらも、どこか現実感が希薄なんですね。
清純な雰囲気の少女や、村の特産品だという天使の透かし彫りのある卵細工や、技師が少女と庭師と3人で野球の試合を見に行った日のことなど、和ませてくれる情景の中には、突然爆破事件や残虐な連続殺人事件といった不協和音が混ざり、はっとさせられます。その不協和音は、老婆が集めた形見の品についても同じ。それらは全て盗品であり、しかもその内容は、娼婦の使っていた避妊リングや犬の死骸といった物なのです。
数ある持ち物の中でも、その人の形見として選ばれるような品は、それだけ持ち主だった人間の人生が詰まっているのではないかと思います。主人公が老婆に連れられて形見の品が詰まった収蔵庫を訪れた時、居心地の悪さを感じていますが、それはそれぞれの物が我先にと自分の存在を主張していたからなのではないでしょうか。しかしバラバラに主張をしていた物たちが、技師と少女によってきちんと登録され、分類され、修復され、殺菌処理され、老婆によって語られるうちに、物の持っていた狂気が徐々に昇華していくような気がしました。そして残されるのは、暖かな抜け殻。
技師の兄の世界や殺人事件に関しては、どこかすっきりしないものが残りましたし、ことに殺人事件に関しては、何のために存在しなければならなかったのか分からなかったのですが、それでもどこか深い安堵感で包み込んでくれるような作品でした。
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