バブル崩壊後の死屍累々とした日本の金融界を舞台に、"ハゲタカ"と呼ばれる外資系ファンドの活躍を描いた、真山仁の問題作「ハゲタカ」
なぜ彼らは"ハゲタカ"と呼ばれるのか。
それは、潰れかけた企業を屍肉に喩えて、屍肉を漁り、奪い去り、後には何も残さない猛禽類のやり口を、豊富な資金で、財務が傷みきった日本企業を根こそぎ攫っていった、外資系金融に喩えた絶妙の表現です。
つまり、外資が流入することによって、もう一度戦争に負けたような感情論が、彼らのことを“ハゲタカ”と呼ばせたのではないでしょうか。
今までのぬるま湯経営から、合理的経営に変わるのですから、キツくなるのは当たり前でしょうね。
真山仁の「ハゲタカ」に出てきた、栃木の足助銀行(どこだか一目瞭然です)も、地元企業に対して、随分とヌルい融資を重ねてきました。
それが経営破綻した途端、債権の取り立てが厳しくなるのですから、債務者はたまりません。
文句の一つも言いたくなるでしょう。
だが、バブル崩壊前の日本経済にはびこった、強引な創業者一族、山のような不良債権、そして、粉飾された決算報告書のことを忘れていはいけないと思う。
バブルが崩壊して、裸の王様となったオーナーは、虚構の上に創り上げられた「健全経営」にあぐらをかき続けた挙げ句、突然、死を宣告されました。
莫大な負債、問われる経営者責任。
でも「銀行が無理に金を貸すからだ」とか「社会全体がバブル投機に浮かれていた。我々は社会の犠牲者だ」とか責任転嫁する者は、いっそ外資にきれいサッパリ放擲してもらったほうがせいせいするでしょう。
昔ながらの創業者一族として企業を持つ者と、経営のプロとして社長業に専念する者が分業できたのもよかったのではないかと思います。
もちろん、銀行の杜撰な融資も問題です。
無理に金を貸して、ゴルフ場とか作らせて焦げ付かせたのだから。
だが、政官財が一体となって「この苦難を国民が一致団結して耐えよう」というキャンペーンを展開。
結果的には、「不景気だから銀行の金利が下がるのは仕方ない」という、諦めを国民の間に植え付けることに成功しました。
また、様々な巨額の債権放棄も、公的資金注入も、「日本経済の屋台骨を守るためにやむなし」というムードを作り上げ、預金者は「自分の預金を守るためには仕方ないのだろう」と納得させられたのです。
考えてみたら、ひどい話です。日本の銀行に預金しても、ほぼ利子はないのですから、銀行は儲かります。
この辺りの状況は、日本のバカさ加減と言いますか、太平洋戦争の時と全く同じだと思う。
「ハゲタカ」の主人公の鷲津政彦。
才能と機転を持った者だけに優しい街ニューヨークで、ジャズピアニストでありながら、企業買収の神様と呼ばれたアルバート・クラリス率いる、ユダヤ系金融に魅入られて、この業界に入りました。
彼はホライズン・キャピタルという、アメリカの"ハゲタカ"ファンドの日本法人代表取締役として、バブル崩壊後の日本にやって来ます。
世界中の投資家から資金を募り、それをファンドしてプールし、日本の銀行の膨らんだ不良債権を、不良債権一括処理で買い叩いて、利ザヤを取ったり、潰れかけた会社の債権や株式を安く買い集め、その会社をバリューアップして成功報酬を得るわけです。
彼は最初からモノが違います。
屍肉を食らう"ハゲタカ"ではなく、生きた獲物でも必ず仕留める、ゴールデン・イーグルとアメリカでは呼ばれるほどの、投資業界の大物なのです。
そして、回りを固めるのは、彼の恋人でもあるリン・ハットフォード米国投資銀行日本副代表、修行のために鷲津の元で勉強しているアラン・ウォード、そして、元CIAで調査員のサム・キャンベルなどの魅力的な人間たち。
物語は、都市銀行や栃木のホテルグループを交えながら展開されていくわけですが、冒頭に、大蔵省のロビーで、割腹自殺する男がでてきます。
これは何の伏線なのか、実は下巻の最後までわからないのですが、これがこの長い物語のいわば核心的な部分であるのだと思います。
どうして鷲津がハゲタカになったのかとか、凄腕だが品性の悪そうな、三葉銀行の関西弁のおっさんを味方に引き入れようとしたのか等の理由は、全てそこの謎に集約されるのです。
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