一見陰惨なミステリーと思い切や、ドタバタコメディ的作品
とにかく登場人物か「濃い」
内田康夫氏の作品は、個々のミステリーでも比較的キャラの性格付けがしっかりされていて、特に浅見シリーズではヒロインの個性や、出てくる地方の刑事の個性のインパクトが強い。
非常に印象に残るキャラもいるせいか、他の作品にも登場するキャラも多く、作品同士で相関があったりするのも面白い。
「耳なし芳一からの手紙」は、タイトルからして陰気なムードだし、プロローグからして、終戦後朝鮮半島から帰国する苦労の人々の様子が描かれており、一見して真面目な歴史ミステリーを彷彿とさせる。しかし、一変序章の「果奈の出発」以降、殺人も当然絡んでくる展開なのに、この作品はドタバタコメディのような明るさが一貫してある。
まるで西村京太郎氏の鉄道ミステリーを思わせるような車中での殺人と思われる事件に居合わせた、浅見と、漫画家志望の果奈、自称ヤクザでヒットマンの高山。事件の被害者でない人物がヒロインなのも珍しいし、果奈の漫画の登場人物である「ヒロインとへっぽこ探偵、おっちょこちょいの用心棒」のトリオの活躍というのも非常にユニークだ。正直果奈はともかく、高山はそこそこ事件解決に尽力するものの、いなくてもその役割を浅見がすれば済んだような気もするが、高山の妙な憎めぬ人柄が作品を明るくし、面白いものにしている。こういういてもいなくてもいい人物を、お笑い要員のような形で登場させている作品も、内田氏の作品では珍しいのではないだろうか。
また、被害者の妻永野依江の、使い方が正しいのだか間違っているのだかわからぬバカ丁寧な敬語や、イライラする話し方、オカマの有田の性格など、活字だけで顔つきまで浮かんできそうなリアリティを伴っている。とにかく登場人物か濃い作品だ。
もしかしたら「トリオ」編成の可能性もあったのでは?
この作品は、もしかしたら内田氏は、果奈と高山を浅見の協力者として今後も出していく可能性を踏まえて作品を創作していたかもしれないと感じ取れる描写がある。
まず、先にも述べたように、高山のような事件に無関係で、本来浅見が懇意にする筋合いのない人物が協力者になっている点。また、果奈と高山の双方を、いくらお人よしとはいえ、浅見が身元の保証人になるなど、今後も浅見と関わりそうな設定があった点。
また、漫画家志望の果奈を、旅と歴史の出版社に紹介したことで、今後も仕事を通じて一緒に活躍する可能性があるのではと感じさせた点である。
このへっぽこトリオの活躍の評判が良かったら、果奈と高山を浅見の捜査の協力者として、レギュラーにしてもいいかもしれない、そんな思惑があったのでは?と思う。実際には、レギュラーにはならなかったわけだが、作品が終了後、果奈はともかく高山はどうなってしまったんだろうか?と非常に気になるところだ。
トリックより人間の気持ちの掘り下げを重視している
この作品にももちろん、殺人のトリックのようなものはあるのだが、非常に古典的な方法だし、斬新な驚きなどはない。ただ、歴史的背景や殺人に至った動機などについて、浅見はパズルのような謎解きというよりは、行動に至った心情を理解していく過程で犯人を特定したという感じである。これはこれで奥が深い。殺人の動機などというものは、現実世界においても小説の中においても、他人から見ると「こんなことで殺すの?」と取るに足らない理由であったり、たとえ私怨や怨恨があっても、長い歳月の中で怒りを思い出さなくなった時、殺意なども昇華されていくのではと思うが、人には色々な思惑があるのだと感じる。
最後、手紙の手法で信頼できる人物に犯人が告白するのは、十津川警部の「初恋」などにもある手法である。こういう言い方は語弊があるが「罪を犯す側の正義」というか、言い訳にしかならぬ理由の中にも同情の余地がある部分が存在することを示すという意味では、この方法は非常にわかりやすい。
ただ、この手のラストは犯人が警察の手に捕まる前に、ある決断をした時と相場が決まっている。浅見自身が警察官でないこともあるが、この作品のラストは「ここで終わり?」という終わり方をしており、事件の解決というより犯人の決意を持って物語は終わっているが、これも内田氏の言葉を拝借するなら「美学」なのかもしれない。
浅見の実年齢を感じる作品
この作品を見ると、戦中時代に結構いいお嬢様だった雪江の年代の女性を母に持つ浅見は、実はもう結構なおじさんであるはずである。比較的新しい作品では、携帯電話を持っている描写があり、年齢はそのまま33歳となっているが、母雪江が大正生まれ、兄陽一郎が昭和10年代の生まれという記述も他作品にあることから、浅見は現代では60代になっているはずである。
「耳なし芳一からの手紙」は、そういう意味では浅見の年齢を感じさせる話である。後に浅見はグリコ森永事件をモチーフにした作品の際に30代だったり、携帯電話も持ち出した頃にも30代だったり、人魚の肉でも食べたのだろうかという年の取り方をするが(これは母親の雪江や陽一郎、須美ちゃんも同様である)実際にはもう還暦過ぎた男性なのだと実感してしまう。
浅見の生まれた世代をしっかり特定している作品の一つではあるが、永遠に年を取らない(浅見は厳密にいうと「遺譜」で34歳になっているが)設定の作品は他にもいろいろあり、そういう手法に慣れている今の世代は、違和感なく他の作品も楽しめるだろう。
この作品はいつもの黄門パターンがない
前述、この作品は登場人物が濃いと書いたが、高山と果奈の活躍のせいか、いつもの浅見シリーズのお決まりパターンである、「印籠、刑事局長浅見陽一郎」が出てこない珍しい作品である。
途中で果奈や高山に兄が警察のお偉いさんだというのはうっかりばれてしまうのだが、だからと言ってこのことが事件解決に大きく役立つわけでもない。果奈には「浅見さんはへっぽこ探偵でないと困る」という自分のイメージの崩壊を気にしていたようだし、ヤクザの高山はやや裏切られた感を持っていたようだが、そのせいで高山との関係に亀裂が入った風でもなさそうだ。
警察もそれなりに頑張って捜査はしているし、情報交換をしているシーンもあるものの、いつものように「操作の邪魔をしないでもらいたい」という警察の態度→刑事局長の弟発覚→警察の捜査に協力するという解決法ではない。あくまで「へっぽこトリオ」が主体になって事件を追っていく。
浅見は元々洞察力が鋭く、普通に探偵事務所に勤務して、浮気や不倫の素行調査などをしても存分に真相を掴んでくるだろう。理解がある刑事さえいれば、十津川警部が橋本に度々捜査協力を依頼しているように、探偵としてでも陽一郎の名前を出さなくても、活躍はできる名探偵であると思う。
この作品は、家族に警察関係者がいたということがばれてはいるが、刑事局長の弟であることが全く生かされてない作品と言う意味では、浅見は要らぬ肩書がなくても活躍できるということを証明している作品だとも言える。
内田氏の思惑が不明なので定かではないが、浅見に事件の被害者という利害関係がない、第三者的仲間(しかも素人)と捜査をさせたらどうなるか?という実験的作品でもあったように思う。
仲間を殺害されたという意味ではやや事件に関わりがあるが、横浜殺人事件の紅子との捜査も、ややそういった面白さがある。被害者の遺族じゃないからこそ客観視できる部分がある。
どういうわけか一貫して明るいムードのこの作品は、「重い内容を扱っているのにどうして明るいものが書けるのか」という、茶化しているわけではないのに嫌な感じがしない、文学の在り方としてももっと評価されていいように思う。
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