死生観を揺り動かされる作品
誰にでもある殺人衝動
このお話は美沙子がサイコパスの素質を持っているというかもはやサイコパスであることが話の中心となり、そもそもそれが原因で様々な出来事が展開していきます。
亮介も塩見に殺意を覚えた場面で「誰の心の奥底にもひとりの殺人者が潜んでいて、呼び覚まされる条件が整うときをじっと待っているのかもしれない」「戦争のない時代には理由のない殺人事件が増える」と考えています。確かにこれはわかりやすいと感じました。もちろん行動には起こさなくとも誰しも一度は殺したいという気持ちが心をよぎったことがあるのではないでしょうか。でもそれは本当に一瞬のものでもちろん間違ってもそれに近い行動すらしないというのが人だと思うのですが、殺人衝動が引き起こされる引き金が非常に軽く、行動もすぐに起こすことができ、またその行動に関してなんら罪悪感を持たないのがサイコパスのひとつの種類ですね。
また、最後にまるで亮介を守るための美談のように書かれている塩見殺害の件に関しては、まだ美沙子の心の中にこの常軌を逸した殺人衝動があるのかと思いましたが、手記にあった殺人事件と違うのは「何も理由がない」殺人ではなく「守るべきものを守る」ための殺人でしたよね。亮介の父に出会ったことで、美沙子の中にあった殺人衝動はなくなったと考えていいのでしょうね。
母が入れ替わった件に関して
ここは現実的な話としてどうしても考えてしまう問題です。
以前、湊かなえさんの作品で「豆の上で眠る」という作品を読みました。このお話は誘拐された姉が、時が立って見つかったが、何か本当の姉ではないのではないかという違和感を主人公である妹が持つところから話が進んでいきます。その話を読んだ際も、いくら衰弱しているとはいえ姉が別人になっているものか気づかないものだろうかという疑問が残りました。
ユリゴコロでも同様で、いくら姉妹であったり主人公の亮介自身が病み上がりであったりしたとしても、母が入れ替わったことに明確に気づかないものだろうか?という疑問が残りましたね。実際親族に何か勘違いしているだけだと言いくるめられているという点はあったとしてもそれを時間が解決してくれるとは思い難いですね。整形手術しているであるとか、一卵性の双子であるというなら「違和感」程度で済むことも納得できますが・・。
また、それにつながるのが本当の美沙子が細谷さんであった件です。
母が変わったことに普通は気づかないか?という疑問と同じレベルで「細谷さんが母かもしれないと少しくらいは気づかないものか?」という疑問も残りましたね。
いくら体型が変化したり年齢が重なったりしたとしても人間の顔の面影というのはそんなに変わらないものだと思うので・・。
まあその疑問が非常に多く出るだろうということを予測して、亮介の「入院前の記憶がほとんどない」という設定をされているのであれば納得です。また、4歳というのも確かにうまい年齢設定ですよね。4歳といえば大人になって4歳の記憶があるかないかというのは本当にあいまいなところですもんね。さらに話の流れとして当然ではありますがそれ以前の写真が処分されていることもこの状況を押し通すためには納得できる理由のひとつになっているような気がします。
家族の愛・夫婦の愛の形
「ユリゴコロ」では、現実では考えられない愛の形ではありますが、様々な愛に関しての話があったように感じます。自分の体を売ることでしか生きていくことができなくなった美沙子に対して「アナタ」が与えてくれた愛。殺されてしまうかもしれない亮介を守るために美沙子から亮介を引き離すことを選択した祖父母や英実子の愛など。
洋平が話をすべて聞いた後に「家族の愛の歴史。憎しみはどこにもない。」と言っており、それがすべてだと個人的には思いました。
美沙子のサイコパスが元となった信じられない状況設定のもとではありますが、それぞれの登場人物がそれぞれの愛する者を守るために取った行動ばかり。それにより複雑な形で屈折した愛の形にはなっていますがすべてにおいて確かに「憎しみ」はどこにもないですよね。
個人的に一番の愛だと思ったのはやはり亮介の父の、美沙子に対する愛の大きさですね。自分の人生をどん底に落とした美沙子に関して、最初こそその事実を知らないままに愛していますが、その事実を知った後でも心の底では愛していたということが、本当の愛の深さを感じました。さらに亮介に対しての愛もそうですね。自分の人生をどん底に落とす原因を作った女の、さらにどこの男の子供かもわからない亮介に対してきちんとした愛情を亮介が大人になってからも注いでいますよね。
根底の美沙子への愛情がなければ、少なくとも亮介を愛することはできないのではないかと思います。
まとめ
手記と亮介の行動が交互にきているので読みやすく、さらさらと読み進められる作品でした。
沼田まほかるさんの作品では「猫鳴り」や「アミダサマ」など命や死生観に関して書かれたものがありますがこれも「死」に関する価値観を考えさせられる作品でしたよね。どの登場人物も自分の中に何か問題を抱えており苦しんでいますね。
ただ、最後はもう余命短い父と美沙子(細谷さん)が2人で旅に出るというさわやかな印象で終わっていますが、これだけ殺人を犯してきた美沙子が、息子と離ればなれになること以外は、地獄を見るほどつらい思いをすることもなくこんなに気持ちよく終わるというのはもはや晴れ晴れした気持ちでいられますね。これが涙・涙で終わっていたら興ざめしていたかもしれませんね。
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