人間をその日常的な手触りからまるごと捉え、自然にユーモラスに二人のアウトローへの愛をこめて描いた 「明日に向って撃て!」
このジョージ・ロイ・ヒル監督の西部劇の傑作「明日に向って撃て!」の原題は、「ブッチ・キャシディとザ・サンダンス・キッド」。19世紀の終わり頃から20世紀の初めにかけて、開拓途上の西部を荒らし回った二人組のアウトロー、ブッチとサンダンスの物語です。
でも、この映画は、従来のありきたりの西部劇のように、悪が法や正義の下に従えられてゆく姿を描くのでもなければ、ハードボイルド的に力を礼讃するのでもなく、またマカロニ・ウエスタンのように残酷趣味に浸るのでもありません。
列車強盗や銀行強盗を繰り返し、追われ追われて故郷も安住の地もなく、遠くボリビアまで逃れて、やはりそこでも銀行強盗をしながら、今度はオーストラリアに行くことを夢見ながら、銃弾でハチの巣のようになって死んでゆく-------。そのようにしか生きられなかった彼らを、夢もあれば悲しみもある生身の人間として、自然に、ある時はユーモラスにとらえています。それは、我々の隣人のような親しさであり、あるいは、我々自身であり得るかも知れないような痛切さも持っているのです。
大上段にテーマを振りかざす深刻さとは違って、人間をその日常的な手触りから、まるごと捉えようとする柔軟さは、当時の1970年代初めの、いわゆる"アメリカン・ニューシネマ"と言われるアメリカ映画の特徴で、それが「真夜中のカーボーイ」や「さよならコロンバス」「ジョンとメリー」というような、めざましい佳作を生んだのでしたが、この映画は、そうした傾向の西部劇における、ほとばしりと言っていいのではないだろうか。
ところで、ブッチ(本名はロバート・ルロイ・パーカー)、サンダンス(本名ハリー・ロングボー)、彼の恋人エッタ・ブレースという登場人物は、西部史を彩る有名な実在の人物であり、悪事ばかり働いたにもかかわらず、アメリカ人の間に伝説的な人気を持っているのです。
J・DホランとP・サンという人の書いた「ビクトリアル・ヒストリー・オブ・ザ・ワイルド・ウェスト」という本には、ブッチはワイルド・バンチ(無法の群れ)の中のトップ・ガンであると同時に、最も好ましい、ユーモアに富んだ人物だった、とあります。
例えば、病気の家族のために、50マイルも馬を飛ばして薬を届けてやったとか、ユニオン・パシフィックの列車を襲った時、忠実な乗員がどうしても銀行の戸を開けないので、ギャング仲間で投票して、やめたとばかり何もしないで引き揚げたとか、ロック・スプリングで酔っ払いと喧嘩して逮捕された時は、ブッチともあろう大物が、こんな微罪で捕まったことにひどい恥辱を感じて行方をくらました、とか数多くのエピソードが紹介されており、その幾つかは形を変えて、この映画でも描かれています。
また彼は、遠くの樹に打ちつけたトランプのカードのマークを正確に撃ち抜くほどの名手だったというのに、ボリビアで陸軍に追われるまで、彼に殺された人間はいなかった-------。要するに、国定忠治みたいな庶民的人気の持ち主だったらしいのです。
エッタについても、稀に見る美人で、マナーがよく、乗馬がうまくて、コルトとウィンチェスターの両方を扱えた。「長い間のワイルド・バンチのメロドラマチックな物語で、ヒロインを演じた」と言っています。ただ、サンダンスについては、この二人ほどの記録は残っていないようです。
ブッチを演じるポール・ニューマンは、「レーサー」に続いて、この映画の実質上のプロデューサーで、最初彼は、自分はサンダンスを演じて、ブッチにはマーロン・ブランドを持って来ようとしたそうですが、マーロン・ブランドでは少し重すぎるということで断念し、サンダンスには当時、気鋭のロバート・レッドフォードを起用し、その結果、ポール・ニューマンがブッチを演じたということです。
このチョビ髭を生やしたロバート・レッドフォードの起用は大成功で、彼の持つ軽やかさが、二人のアウトローの奇妙な友情、一人の女エッタを精神的には共有しているような、微妙な関係を表現するのに、抜群のキャスティングでした。
そして、この映画はタイトル・バックが実に凝っていて、セピア色でブッチとサンダンスの犯行を描く、サイレント映画の画面が映ります。それが、やがてカラーになって、現実の二人の行動になるわけですが、これは自分たちのことを扱った映画を、それほど有名になった二人が見ていた、ということなのだろうと思います。
続いて、サンダンスがカードの勝負から決闘を挑まれ、それをブッチが「もう若くないんだから」とおどけてなだめるシーンは、極端なクローズ・アップでカメラも焦点もほとんど動かず、なんだかわからないが、だんだん観る者にそのいきさつが飲み込めて来るという、ジョージ・ロイ・ヒル監督の巧みなサスペンス的な演出が光っています。
その後、列車強盗に成功した後、腕利きの保安官と足跡を嗅ぐ名人に執拗に追跡されて、砂漠でヘトヘトになる逃避行では、遠い追跡隊を捉えるロングのカメラ・ワークと共に、音の効果的な使い方が大変、繊細だったと思います。
そして、執拗な追跡をかわした後、ボリビアに行こうというブッチの提案で、エッタともども三人が旅する過程は、全部またセピア色のストップ・モーションで描いていて、本当にジョージ・ロイ・ヒル監督は、心憎い演出をしてみせます。1900年代初頭の時代風俗が、西部から東部へ、汽車から汽船へと、多分にミュージカル的演出で簡潔に描かれ、安住の地のない彼らの心の動きをかえって痛切に感じさせます。
ニューヨークのレストランの陽気な場面など、ちょうど同じ20世紀FOX作品である「ハロー・ドーリー!」と時代的に符号するので、「ハロー・ドーリー!」のセットをちょっと借りたんじゃないかという噂も流れましたが、これはちゃんとセットを建ててエキストラを使っての撮影だったそうです。
さて、ボリビアに着いてみると、荒野にブタとラマがいるだけで、なんにもない。三人の幻滅と、やはり他にすることがなくなって銀行強盗をやった後の豪遊、エッタからたたきこまれたスペイン語のメモを見ながらのホールド・アップ、エッタが故国に帰ってしまってからの二人が、逆に給料強盗に悩まされる鉱山のガードマンになる成り行き------みんな、滑稽であり、ユーモラスなのですが、ふと考えると実に悲しいのです。
最後に重傷を負ってボリビア陸軍に囲まれた絶体絶命の二人は、悪口を言いながら助け合います。「お前の言うことを聞いてるとロクなことがない」というサンダンスに、もうダメとわかりながらオーストラリアに行く夢を語り続けるブッチ。そして、飛び出した二人のストップ・モーションに、雨あられのような銃声------という、哀しい余韻を残して、この映画は幕を閉じます。
二人組のアウトローの逃避行という点では、アーサー・ペン監督の「俺たちに明日はない」があります。この映画も多分に、それを意識したことでしょう。「俺たちに明日はない」は、痛ましい、しかし、それ以外になかった一つの青春として、私の心を捉えたのでしたが、もう中年と言ってもいいブッチとサンダンスの軌跡から、同じように張り詰めた感傷を受け取るのは、この二人の無頼流浪の男たちが、いつまでも心に青春を失わない男たちだったからではないでしょうか。いうなれば、男の心意気というものかも知れません。
この映画の脚本を担当したウィリアム・ゴールドマンは、完成までに8年の歳月をかけたそうですが、それほどまでに見事な脚本だと思います。そして、カントリー調の主題歌をリズム・アンド・ブルースの歌手B・J・トーマスに歌わせた音楽のバート・バカラックの手腕も見逃せません。
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