フルメタル・ジャケットのあらすじ・作品解説
フルメタル・ジャケットは1987年に公開(日本では1988年)されたスタンリー・キューブリック監督によるベトナム戦争を描いたアメリカの戦争映画であり、様々な面で話題となり、1999年にはDVDも発売された。 物語は2部構成となっており、前半は主人公たちの訓練風景、後半はベトナムの戦場へと舞台を変えていく。 主人公ジョーカー(マシュー・モディ―ン)達は高校を卒業後、海兵隊の訓練所へと送られる。そこで待ち受けていたのは鬼軍曹ハートマン(R・リー・アーメイ)であった。毎日続く激しいしごきと言葉の暴力、その中でも運動が苦手なレナード(ほほえみデブ)への叱責は苛烈であった。レナードの失態が「隊全体」の連帯責任となった為レナードに対する仲間たちの苛めも発生していく。そして訓練所最後の夜レナードはM14でハートマンを撃ち自らも命を絶つ。 その後、軍の機関紙の記者として戦場にいたジョーカーはフエ市攻略の取材中に訓練所の仲間であったカウボーイと再会し、彼の所属する部隊と共に敵の残る市内へと足を踏み入れていく。
フルメタル・ジャケットの評価
フルメタル・ジャケットの感想
スタンリー・キューブリック監督が国家の病気としての軍隊を、シニカルに痛烈に批判した戦争映画の傑作 「フルメタル・ジャケット」
国家病理学というような学問は、まだ存在しないと思うが、あっていいし、あるべきではないか。そんなことをこのスタンリー・キューブリック監督がヴェトナム戦争を描いた「フルメタル・ジャケット」を観て感じた。なぜなら、この映画は国家の病気としての軍隊を描いた作品だったからだ。この映画は、ヴェトナム戦争の真っ最中の1967年におけるアメリカ海兵隊訓練基地での、一つの班の猛訓練と、翌1968年、ヴェトナム戦争の一つの山場となった、いわゆるテト(旧正月)攻勢に遭遇した彼らの戦闘ぶりとを描いているのだ。映画の前半部が訓練、そして後半部が戦闘なのだ。軍隊の猛訓練を描いた映画というのは、これまでにもたくさんあります。鬼軍曹が普通の青年たちである新兵を徹底的にしごいて、勇猛な兵士に鍛えあげるというのが、その基本パターンだと思う。その数多い軍隊訓練ものの中でもこの作品を際立たせているのは、ハートマン教官という鬼軍曹が四六...この感想を読む
兵士に求められるものは
国家が一旦戦争状態に陥れば、他のいかなる価値よりも戦争の勝利が最優先となる。たとえ勝利の代償が勝利自体による利益よりも遥かに高くついても。そしてその戦争に必要とされるのは、脱倫理的で任務の遂行のほかには一個も払わない冷酷な殺人機械である。鬼教官の有名なハートマン軍曹が教鞭をとる海兵隊訓練所はそうした殺人機械を製造する無機質な工場だ。それがうまく行き過ぎて温和で抜けたところのある「スノーボール」は完全に狂ってしまう。俺はスノーボールが危険な殺人鬼となった時の顔と、元の間の抜けた顔ととのギャップが忘れられない。まったくの別人のようだ。ヴィンセント・ドノフリオの演技力に脱帽するほかはない。
じわじわきます、真の戦争映画
タイトルの「フルメタル・ジャケット」は鉛の弾丸をニッケルなど別の金属で覆った弾丸のこと。人を殺したくない、戦争は怖い、という普通の認識の人間が、戦闘マシーンとして「装甲」されていく、といった意味を含んでいて、興味深い。ブートキャンプでの訓練風景は「サー・ノー・サー!」のかけ声やハートメン軍曹のキャラ、出で立ちなどが、後のあらゆる分野において引用される、印象深いシーンだ。映像、物語としては地味で、脚本としてもグッドセンスなわけではないがゆえ、評価の分かれるところだと思うが、そもそもこの映画に「ハリウッド調」を求めるのは無理な話。後半、実戦場のシーンは音楽もほとんどなく、トラップの恐怖、ベトコンの恐怖に追い詰められていく隊員たちの姿が抑制的に捉えられ、はっきりいって、見てて相当怖いです。アメリカの「戦争映画」というと英雄譚、奇妙に濃いヒューマニズム、正当化を平気でやってのける、などの悪態が...この感想を読む
フルメタル・ジャケットの登場キャラクター
ジェイムズ・T・デイヴィス
ニックネーム:ジョーカー 性別:男 国籍:アメリカ 所属:アメリカ海兵隊 性格:皮肉屋 ポリシー:戦争に対してやや距離を置く 特徴:眼鏡、胸のピースマークバッジ 特技:皮肉 階級:軍曹 職種:報道員
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