人生は苦しくも、極めて美しい。
名作「レナードの朝」
映画「レナードの朝」は、確か若かりし頃に倫理の授業で観た記憶がある。良い映画だった。
そして、1990年に公開された映画だが、色褪せない「名作」といった印象がある。
今回、十数年の時を経て、改めてこの映画を観てみたくなり、観た。
その感想を以下に書いていこうと思う。
人生はささやかな苦難に溢れている。
冒頭のレナードの少年時代のシーンが終わると、セイヤー医師が職を求めて病院にやってくるシーンがある。一応の職は得られたものの希望の職とは遠く、その職場でも器用には立ち回れない様が、自然で丁寧に描かれている。
今までの自分自身の経験や感情とも重なって「こういう上手くいかなさってあるよなあ…」と心底感じ入り、一気に映画の世界の中へと引き込まれてしまった。
大概人生はささやかな苦難に溢れている。時には、「ささやか」ではないかもしれない。常に順風満帆な人などいない。「レナードの朝」前半部分のセイヤー医師の上手くいかなさ・不器用さには、共感する人も多いのではないだろうか。
人は、自分の「存在」を認められた時に幸福を感じ、認められなかった時に幸福から遠ざかっているように感じるのかもしれない。
「上手くいかなさ」を感じるのは、自分の「存在」が認められていないように感じる時、ひいては、自分の働きが世の中に影響を与えられている感じがしない時、なのではないだろうか。
人生は苦難だけでもない。
しかし、人生は苦難だけでもない。
この映画「レナードの朝」は、そんなささやかな苦難にちりばめられた「苦難に抗おうとする情熱」「希望の光」「人の温かみ」の描写が秀逸であり、またそのちりばめ方も絶妙である。
例えば、
- わざわざ走り出そうとするセイヤー医師の車の窓を叩いてまで、「先生の説明分かる気がします」と看護師のエレノアが伝えるシーン。
- セイヤー医師の活動を支援するため、または嗜眠(しみん)性脳炎の患者をケアするために、病院のスタッフが身銭からの小切手を次々に置いていくシーン。
- 嗜眠性脳炎の長い「魂の不在」の状態から回復した患者たちが、皆でダンスを目一杯楽しむシーン。
- ストライキを終えたレナードに、嗜眠性脳炎の仲間たちが「おかえり」と言うシーン。
- そして、再び病状が悪くなっていくレナードが「さよならだ」とポーラに告げながらも、2人で穏やかにダンスを踊るシーン。
どれも「人生は苦難だけでもない」と力強く感じさせてくれるシーンで、私が好きなシーンであり名シーンである。
どのシーンも、誰かが誰かの「存在」を認め、温かな思いやりが感じられる。
やはり、人は、誰かにその「存在」を認められた時に、幸福を感じるのかもしれない。
「レナードの朝」は、そんなシーンがとても優しく丁寧に描かれている。生きることへの希望を感じさせてくれる映画である。
人生は苦しくも、極めて美しい。
レナードは真夜中にセイヤー医師を呼び出し、「皆生きることのすばらしさを忘れてる」「持ってるものの尊さを教えてやらなきゃ」「人生は喜びだ」「尊い贈り物だ」と生きることの喜びを抑えきれないように語るシーンがある。
「このセリフはレナードの『魂の叫び』だ」と感じさせるロバート・デニーロの演技が圧巻であることもさることながら、人生の美しさが集約されたセリフだと思う。
特に、「人生は喜びだ」というセリフは、「忘れがちかもしれないが、真理だ!」と改めて衝撃のようなものを受けた。しかし、それを享受するためには、それを忘れない意志の強さが必要でもあると思う。
「人生は苦難だけでもない」その逆も然り。
「レナードの朝」の中でも、レナード達はやがて薬が効かなっていき、「病からの自由」の時間が終わりを迎える。
エレノアの「命は与えられ奪われるものよ」のセリフが印象深い。
しかし、だからと言って、レナード達が「人生の喜び」を強く感じた「奇跡の夏」が無かったことには、彼らの人生の「輝き」が無かったことには、決してならない。
私はそう思いたい。
俳優陣と監督と原作者について。
この映画のメッセージ性に華を添えるのは、俳優陣の秀抜な演技である。
主演のロバート・デ・ニーロやセイヤー医師役のロビン・ウィリアムズはもちろんのこと、どの俳優を取っても、特に表情が素晴らしい。演技・表情の素晴らしさは、数々の映画の中でも抜きんでており、私はこの「レナードの朝」が1番だと思っている。
原作は、オリバー・サックス。神経学者であり、医師である。
「レナードの朝」が実話に基づいていることは冒頭の1文を見て知ってはいたが、実は、L-ドーパを嗜眠性脳炎患者に投与する試みを行ったのが原作者オリバー・サックス本人であるということを知った時、少し驚いた。つまり、原作者オリバー・サックス≒セイヤー医師である。
ただ、原作と映画は異なる部分もあり、原作にはレナードのみでなく20人の嗜眠性脳炎患者のその後が描かれているようなので、原作もいつか読んでみたい。
そして、彼が「セイヤー医師」なら「レナードの朝」の出来事をどう捉えていたのか興味深い。
彼は、自身ががんで死去する6か月前に、末期がんであることを明かしながら、
I cannot pretend I am without fear.But my predominant feeling is one of gratitude.
(恐怖のないふりはできない。しかし、私を支配する一番大きな気持ちは感謝だ。)
とニューヨークタイムズ紙に「My Own Life(私の人生)」というタイトルで綴っている。(2015年8月、82歳没。)
[ニューヨークタイムズ https://www.nytimes.com/2015/02/19/opinion/oliver-sacks-on-learning-he-has-terminal-cancer.html]
監督のペニー・マーシャルは、女優としてのキャリアも持ち、自身が出演するテレビシリーズの監督を経て映画監督になった。「レナードの朝」公開時の年齢は、48歳。
個人的な印象としては、それなりに苦労と努力をしてキャリアを積み重ねてきた女優・監督であり、「人生の苦難」の部分も「輝き」の部分も充分に経験し、女優としてのキャリア・才能からも、このように丁寧な「レナードの朝」の世界観が描けたのではないかと思う。
出身はレナードと同じブロンクス。(ニューヨーク市の最北端の行政区。)ブロンクスの風景の取り扱いにも愛情を感じる。
セイヤー医師役の俳優、ロビン・ウィリアムズの自死。
セイヤー医師役の俳優、ロビン・ウィリアムズが、2014年に自死でなくなったことにとても驚いた。
しかも、自死は、ロビン・ウィリアムズが「レビー小体型認知症」というパーキンソン病と似た症状を呈する病に侵されつつあったことが一因ではないかと言われており、「レナードの朝」後半部分の、薬が効かなくなりつつあるレナードが苦悩する姿と交錯してしまう。筆舌には尽くしがたい相当の苦悩があったことであろう。
ロビン・ウィリアムズ自身は、この「レナードの朝」以前からアルコールやドラックの依存症の経験があったり、それとは裏腹に俳優業を中心として華々しい成功を収めていたり、また、晩年にはチャリティー活動にも心を傾ける一面があったりと、多面的な人物である。
彼が死の間際に、病へのとてつもない苦悩や絶望を抱えていたとしても、「彼の俳優業で心打つ何かをもらった人がいたこと」、「この『レナードの朝』から人生の輝きのすばらしさを学んだ人がいたこと」、そして「彼の人生において様々な輝きがあったこと」は、決して無くならない事実なのである。そう、レナードが再び病の帳(とばり)の向こう側へ行ったとしても、セイヤー医師やポーラと過ごした「奇跡の夏」が無くならないように。
最後に、ロビン・ウィリアムズ氏のご冥福を、改めて心よりお祈り申し上げます。
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