問題作かもしれないが隠れた名作と感じさせる作品
ある一人の男子生徒の死から始まるストーリー
この「沈黙の町で」は、ある男子生徒が学校内で転落死したことから始まる。死んだ生徒は体は小さくて気も弱く、家が裕福だったこともあり、いじめの結果死んだのではないかという疑惑が当然のように浮かびあがったからだ。
そしてその真実を追究するために、警察、検察がそれぞれのやり方で調べていくのだけど、そこで浮かび上がってきた事実は皆が想像していたのとは全く違っていた衝撃が、この物語の肝だと思う。
いじめをテーマにした物語は数多くあるが、この物語は他とは少し違っているように感じる。一人を多数が攻撃するのは違いないのだけれど、その多数の人間の個々としての敵意が、どこか薄いのだ。もちろんイライラしたり憎たらしくなって攻撃してしまうところもあるのだけど、その加害者たちも確固とした敵意があるわけでなく、どこかしら“なんとなく”とか“ノリで”とかいうところが感じられる。もちろん皆がやっているから自分もやらないと、今度は自分が標的になってしまうというような強迫観念から発生するいじめもあるだろうけど、根本的にそれとは違っている。これをいじめと呼ぶのかどうか、そしていじめられる側にも問題があるのではないかといった印象のストーリーだった。
4人の未成年の加害者たち
調査の結果、死んだ生徒名倉祐一を一番いじめていたと名前が挙がったのは、市川健太と坂井瑛介、金子修斗と藤田一樹だ。そのうち藤田と瑛介は14才に達していたため逮捕されてしまう。ここで年齢のみでラインが引かれることに法律とはいえ非情さを感じた。13歳の健太と金子は補導のみで済み逮捕されることはないのだ。しょうがないとはいえ、少年法の欠点ばかりが目に付いてしまった。
警察の捜査とこの少年たちの生活が交互に描かれているので、いわば大人に対する時と彼らだけの世界では、まるで態度が違うことに今更ながら気づかされた。当時の自分もそうだったはずなのに、大人になってしまうとそういったことはすっかり忘れてしまっていることにも。
話の始めのあたりではこの4人があたかも首謀者のように扱われているのだけれど、捜査が進むにつれ話は変わってくる。それと同時進行して進むのはそれぞれの保護者たちの描写だ。息子と仲のよい(と思っていた)同級生の死を知らされたときに、親が一番に心配するのは息子がそれにどうかかわっているのかということに終始する。そしてその4人の保護者たちは皆一様に、自分の息子だけは悪くない、そそのかされただけだと思うところは、親ならば誰もが理解できる親心なのだと思う。しかし中学生が親に自分の思っていることを全部話すはずがない。親が見て理解していると思っているのは、もしかしたらそうあってほしいという希望的観測の元に息子を理解した結果の虚像なのかもしれないと思わせる哀しさがあった。
そしてこの4人の加害者たちのリーダー格である健太と瑛介と同様、彼らの母親の思いも他の2人より書き込まれている。中学生の世界の書き込みもリアルであの頃を思い出す苦しさがあったけれど、保護者たちの思いは今最も理解できることでもある。自分が確実に親世代になっていることを思い知らされた。それくらい親の苦しみの描写はこちらの息も苦しくなるほどだった。
もしこの作品を中高生の時に読めば確実に彼らの立場にたって読んだことだろう。でも親の世代になってしまった今では、どうしても親の気持ちに立ってしまうのだ。
死んだ名倉祐一という生徒
呉服屋という裕福な家で何不自由なく成長した祐一は、何かが二つ三つ外れているような、そんな気にさせる生徒だ。3年生から呼び出された時も他にもたくさんかばってくれた瑛介を裏切り夜のレースを先生に告げ口したことも、どうしてそういうことができるのかがわからない。告げ口したからといって先生に取り入る風もなく、いじめてくるグループと常に行動を共にしようとするところとか、彼のそういう理解できない行動はあまりにも多い。
そしてこの物語中で、健太にしても瑛介にしてもいいところをたくさん書かれている。健太のリーダーシップとか瑛介の弱いものを守ろうとする、拙いながらも見せる正義感とか、たくさんある。それなのに死んだ祐一はそういうことが一切ない。周囲を苛立たせる挙動、虎の威を借ろうとする卑怯な態度とかばかりで、全く彼に同情ができない。唯一心を揺さぶられたのは、生まれる前に死んだ彼の兄と弟が目の前にいるかのように独り言で会話をつぶやくところだ。恐らく不安になったときなどにこのクセが出るのだろう、すこし心が揺るぎそうにもなったのだけど、そもそもその窮地を呼び込んでいるのは確実に自分の態度の悪さからきているわけで、ここが一方的ないじめとは違うなと思わせたところだ。
息子を亡くした親の気持ちはきっと当事者でないと理解できないだろう。「家の未来ごともっていかれるような気がする」と記者が言っていたけれど、それは本当にその通りだと思う。だからこの祐一の母親の行動は当事者なら心の底から理解できるものなのだと思う。加害者の親たちの気持ちよりも、そこに心を合わせようとした校長は、最初こそ頼りなく感じてはいたけれど、一番彼女の心を慰めたのかもしれない。
中学生の幼さと脆さの描写
この物語では、しっかりしているように思える中学生の心の脆さと不安定さがこれでもかと書かれている。大人と同じような顔立ちをし、同じように話しながらもそこかしこに感じられる幼さが、とても真に迫る勢いで描かれていた。「彼らは自分たちの住む世界が全て」という言葉は、当時は確かにそうだったなとそのときの思いが苦しく思い出された。加害者とされる瑛介は中学生だからか、幼いヒロイズムか正義感かの元に行動してしまう彼は、ゆえに人望は厚い。4人の中では一番大人っぽい思考が感じられる彼なのだけど、彼でさえ名倉が買ってくるポカリスエットを口にし、名倉の背中をつねっている。そういうことは彼の性格ではしなさそうなのだけど、そこはそうしてしまっているところが、リアルな中学生のような気がした。そしてそれを快く思っていないのは唯一、瑛介を想う少女朋美だ。そういうことは彼には似合わないと感じている彼女がきっと一番大人なのだろう。
体格はもう一人前なだけにそのような幼さを忘れがちなのだけど、彼らは本当にまだまだ未完成なのだ。
いじめられる側にも問題がある?
体型や見た目で一方的にいじめられるものとは違い、これは明らかにいじめられる側にも問題が感じられる。“いじめを無くす”という目でいうとこういうことを言うのはきっとよくないのだけど、この作品はそこにスポットを当て、あえて浮かび上がらせたように思う。いわばそういうことを言うのは禁句というような印象さえあるのに、そこを掘り下げて一冊の本を書き上げたというのはかなりの問題作なのではないだろうか。そして読後感はよくない。後味が悪いと言い切ってもよい。だけどこの本を読んでよかったと心から思えた。
多分世の中のニュースになっているこのような問題にもこのような背景が多くあるのだと思う。もちろん一方的にいじめられるものはいじめられる側にはなんの責任もないと思う。だけどこのような“いじめられる側にも問題がある”ケースが少なからずあるのだろうということを、この作品は感じさせてくれた。
少し言うと、登場人物は中学生とその親、警察と検察だけでいいのではないかとは思った。あの記者の記事の取り組み方の葛藤とか、先輩記者との会話とかはそれほど物語に必要とは思えなかったからだ。
とはいえ、この作品は間違いなく奥田英朗の代表作だと思う。奥田英朗の書く伊良部シリーズなどコミカルな話は、こういう話が書けるからこそ書けるのだろうなと再確認した作品だった。
そしてこの読後感の悪さは、奥田英朗の表現力の高さからもたらされたものなのだとつくづく思う。
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