法律と感情のはざまで下した橋本の決断
去るはずのキャラクターがレギュラーに
十津川シリーズの中でこの作品を何番目に読むかにもよるが、私立探偵である橋本が、元刑事で十津川の部下だったことはファンなら周知の事実である。
橋本の辞職願で始まるこの物語は、橋本が刑事を辞めて私刑という刑事にあるまじき行為に走るという、他作品でも頻繁に触れられている過去の詳細である。(ちなみに、本作で事件の引き金になる橋本の恋人の自殺は、たまに妹の自殺という説明になっていることもある)
一見、橋本に先入観なくこの作品だけを読むと、橋本はこの作品だけの一発屋なのだろう、事件も起こしてしまうし、警察には戻れないのだからという印象を持つし、こういう去り方の部下もいるだろうと思ってしまうが、橋本の場合は警察を去ることがレギュラーの座を勝ち取る第一歩になってしまう。
それは橋本が私立探偵という職業に転職したため、時に警察であるがゆえに身動きが取れない十津川に代わって捜査に協力するというおいしい役回りになるからなのだが、退職後も辞めた職場の仲間との関係が良好な上に仕事がもらえるとは、橋本の様な生き方をうらやましく思う人もあるだろう。
シリーズ物としても、犯罪を起こして去った刑事が再び主要キャラになって復活する事例は珍しいと言える。西村氏は警察の事情に精通した私立探偵という役回りの欲しさに、橋本に過酷な試練と同時にレギュラーの座を与えたのかもしれない。
亜木子という女性の視点がユニーク
恋人を酷い目に遭わせた男たちへの復讐に燃える橋本を、青木亜木子という雑誌記者が客観的に観察している視点で書かれている部分があるのがこの作品のユニークな点である。十津川警部シリーズでは、十津川や相棒の亀さん、または事件の中心人物の視点で書かれることが多いが、亜木子は事件に全く無関係であり、取材先で出会った橋本に興味を持つ一人の女性である。橋本の身を案じる亜木子に、橋本の暗い過去と今後の贖罪に一筋の明るい未来を感じる構成になっている。下り特急「富士」殺人事件では、亜木子とのその後が描かれており、別々の作品として発表されているが、北帰行殺人事件とは二部作構成になっていると言ってもいいだろう。青木亜木子は都電荒川線殺人事件などの短編集でも独立して活躍しており、著者西村氏の思い入れが強いキャラクターであることがうかがえる。このように、西村氏のスピンオフ作品のキャラクターの視点で書かれたのは、十津川警部シリーズの作品は非常に珍しい。
性犯罪の厳罰化について考えさせられる
西村氏の作品のみならず、内田康夫氏の作品などにも、殺人の背景に性犯罪があったというストーリー展開はよく見られる傾向である。
時代の変化で、最近こそ女性の側も弱き被害者でいる事に甘んじなくなってきているが、北帰行殺人事件のみならず、西村氏の石狩川殺人事件のように、レイプを受けた女性が命を絶ってしまうと言ったことが生じた際、被害女性が亡くなっても、それはそれで自殺、暴行とは別物とみなされ、暴行をした加害者は殺人犯としては逮捕されないのだ。
被害者の女性の身内や恋人が、加害者を極刑にしてほしいと願ってもそれはまず叶わない。
せいぜい罰金と実刑で終わってしまう。
そうなった際に、激昂し、犯人への復讐心を抑えられない被害者の身内は、それならば自分が鉄槌を下すと考えるだろう。
冤罪はあってはならないが、確実な犯人である場合、罪なき女性に暴行をし、命を絶つ決意をさせるほどのトラウマを植え付けたことに対し、警察や司法が、被害者の納得がいく厳罰を与えてくれるなら、恋人の古川みどりは死ななかったかもしれない。そして、橋本も、自分こそが犯人に鉄槌を食らわせる側として、警察を去ることもなかったのではないか。そういう意味では、二人を追い込んだのは、もちろん加害者の犯人であるが、鬱積した怒りを泣き寝入りせねばならない法の裁きの限界であったとも言えよう。
西村先生は「みどり」さんが好き?
いくつかの西村氏の作品を観ていると、非常に作中に「みどり」という名前の女性が多く出てくることに気づく。橋本の恋人も、みどりである。「十津川警部みちのくで苦悩する」の黒川みどりや、「母の国から来た殺人者」の早乙女みどりについては、同じみどり同士で身内の仇討をするという設定まで似通っている。北帰行殺人事件のみどりは自ら仇討はせず、橋本がそれに代わることになる。昭和時代は、うつみ宮土理さんや五月みどりさんなどの有名芸能人にみどりさんが多くいたため、憧れの女性名という事で登場人物名として起用されていたのかもしれないが、最近ではやや古風な名前になりつつある。
どこか意志の強い女性キャラクターに名付けられることが多い「みどり」という名前には、西村先生の信念を持った女性へのイメージが込められているのかもしれない。
上記以外の他作品にも、みどりという登場人物はかなりの確率で登場するが、立場は違えで、芯が強く一本気の女性が多い傾向があるようだ。
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