「素晴らしき哉、人生!」涙の後に考える「なぜ天使がオヤジだったのか?」 - 素晴らしき哉、人生!の感想

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「素晴らしき哉、人生!」涙の後に考える「なぜ天使がオヤジだったのか?」

4.54.5
映像
3.5
脚本
4.5
キャスト
3.5
音楽
4.0
演出
4.5

目次

親方!空から、オヤジが!

1946年公開の「素晴らしき哉、人生!」は全ての生きている人に、生きてきた・生きていくことの意義を肯定した映画史に残る名作だ。その温かく優しいメッセージに涙した人も多いのではないだろうか。だが、映画を見終わったあとに、疑問を持った人もいるのではないだろうか?「なぜ、天使がオヤジだったのだろうか?」と。いや、終わったあとどころか、映画の冒頭では多くの人が「天使なのにオヤジかよ」とツッコミをいれたくなるだろうが、感動の涙と共にその思いはどこかへ流れさっていくのだと思う。なぜなら、筆者もその1人だからだ。けれども!今回は!あえて、天使がオヤジなわけを考えていこうと思う

クレランスを演じたのはオヤジではなくおじいちゃん

今回我々が注目しているキュートなエンジェルオヤジ、彼の名はクレランスといった。二等級天使だから翼がない、レッド・ブルなんて便利なものがない1940年代だ、彼は翼をもらうため自殺しようとするジョージを助けにくる・・・というのはもうご存じの通りですが。さて、このクレランスを演じたのは、ヘンリー・トラヴァースさん。なんと1946年の時点で70代であった。ヘンリー・トラヴァースさんは、イギリス出身で、舞台俳優としてアメリカにやってきたそうだ。なるほど、クレランスのどこか上品な雰囲気は、イギリス紳士の血が流れているヘンリー・トラヴァースさんのバックグラウンドからにじみ出てきているのだろう。しかし、いくら上品なおじいちゃんだからって、天使に仕立て上げるのはやりすぎじゃないか。

天使=子ども・女性は近代以降に作られた概念

いくら上品なおじいちゃんとはいえ、天使にするにはやりすぎではない。なにか、監督はそういう趣味なのか?という思いを抱えていたある日、筆者は何気なく眺めていた美術書で目を丸くする。「オヤジに・・・羽がはえている・・・だと?!」そう、それは中世に描かれた聖人の作品だった。しかし、西洋の宗教画をみると、いるのだ!羽のはえたオヤジにが!空を舞うオヤジが!実は、天使というのは「神の遣い」として、本来は形がないものであり、オヤジだろうと、子どもだろうと、綺麗なお姉ちゃんだろうと、その姿はなんでもよしとされていた。我々の頭にある「天使=子ども、女性」という概念は近代に出来た概念だそうだ

クレランスをオヤジにした理由

では最後に、なぜ「素晴らしき哉、人生」では天使をオヤジにしたのか考えてみたい。この作品の主人公であり、クレランスが助けなければいけない主人公ジョージ。彼も幼少期時代が描かれたものの、クレランスと実際に対面したときは立派なオヤジになっていた。彼には妻のメアリー、そして子どもたちもいた。確かに、ここでジョージを助けたのが美しく若い女性の天使だったら、穏やかではないだろうし、ジョージはその後誤った道を進む可能性がある。では逆に子どもの姿をしていたらどうだっただろうか。イメージすると、なんとなく説得力にかけるようにも思える。老人の男、という人生の終盤を生きる、ジョージと同じ男性の姿をしているからこそ、その後のクレランスの行動に説得力が出たのではないだろうか。「素晴らしき哉、人生!」では、公開当時の人々も今鑑賞する我々もクレランスという従来の天使像を覆すその存在に誰もが一度は驚かされ、ときに笑ってしまうだろう。しかし、その姿だからこその説得力、また演じるヘンリー・トラヴァースさんの上品でチャーミングな魅力が映画からのメッセージを温かく我々に伝える役割をしているのではないだろうか。

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