浦沢直樹の世界を満喫できる作品
舞台がドイツであるということ
天才外科医であるテンマがいるのはドイツ、デュッセルドルフ。まずその舞台のイメージからして暗く、映画で言うとモノクロの世界がどんどん押し寄せてくる。院長の娘と婚約し出世街道に乗っている日本人医師が医師の本質に目覚め、院長命令から背いて違う患者を手術してしまったことからすべてが壊れていく。間違ったことをしていないのに外科部長からは降ろされ、婚約者エヴァからは去られ、すべてを無くしたテンマに残ったのは、あの時治した患者だけだった。にもかかわらず皮肉なことにその患者は後々「Monster」として、多くの殺人を犯していくというなんとも魅力的なストーリー展開に冒頭から目が話せなかった。
まず舞台が西ドイツというのが心をそそる。1986年というベルリンの壁崩壊直前にあたるドイツの風景は、様々な映画を見るだけでも興味深い国だった。私見ではあるが、そこには暗いのだけど厳かさというか、深さが感じられる。そのような舞台で始まるストーリーだからこそ、このマンガを選んだといっても過言ではない。
浦沢直樹の他の作品と比べて
比較的コメディチックな作品だった「YAWARA!」や「Happy!」を経て(「Masterキートン」を間に挟むが)、「Monster」がある。この作品はなんとなく彼の画風が確立したイメージのマンガのように思う。ギャグなどはすっかりなりを潜め、登場人物たちは一様にシリアスで表情が硬く、重々しくストーリーが進んでいく。また取り扱っているテーマも闇が深いものが多く、孤児院、養子、児童虐待、猟奇殺人など、あまり他に見ないテーマを扱っている。そしてそれは最近よくある目を塞ぎたくなるような残酷描写などはなく、ただ静かに描かれているのも印象的だ。
浦沢直樹はこのように舞台を作り物語を作るのがとてもうまいと思う。伏線もあるし、ストーリーは破綻せず、うまく進んでいく。ただその広げたストーリーを終結させるのに若干難があるのではないかと思わないでもない。例えば「20/21世紀少年」は展開があまりにも遅すぎ、単行本が出たので喜び勇んで買ったものの、まったく話が進んでいないということも珍しくなかった(それは昔の「DRAGON BALL」のあらすじ説明が長すぎるじれったさを思い出すくらいだった)。そしてラストはどうだったか毎度思い出せない。あと「Happy!」のラストの急速に皆がいい人になる展開も腑に落ちない。時々そういう難はあるけれど、そこまでの持っていき方があまりにうまいのでいつも手にとって読んでしまう作家でもある。
双子、孤児院、養子
映画ならこんな要素があれば絶対飛びつく要素がこのマンガにはそろっている。テンマがすべてを捨てて助けた患者の男の子は、孤児院で研究的に教育された男の子だった。孤児院というとどうしても暗いイメージがあるが、このマンガもそのイメージは覆さない。ましてやある種のカリスマを持たせるための非人道的な特殊教育をしていたような孤児院である。そこでの生き残りであるグリマーとテンマの話はなんとも切ない。普通にピクニックすることすら心から楽しめない。どういうときにどういう顔をすればいいのかわからないと、ここでも笑いながら話すグリマーに向けたテンマの笑顔は彼の人となりをすべて表すものだと思った。「どういう顔をすればいいのかわからない」という言葉では誰もが真っ先に「エヴァンゲリオン」の綾波レイを思うだろうけど、彼女もまたグリマーと同じように特殊環境下で生きた人間だからこそ同じ言葉がでたのかもしれない。
「エヴァンゲリオン零号機」に乗る綾波レイと同じように、グリマーも超人ハルクのように豹変し、自分以外の体(グリマーの場合はあくまで多重人格のようなものだと思うけれど)を身にまとう。ただそこでしか生きられない綾波レイとは違い、グリマーはその時の記憶がない。でもそれは奥深い無意識下の怒りが作り出した人格なのではないか。殺し続けてきた自身の怒りが具現化したのではないかという気がする。グリマーが出てくる場面はこのマンガの中でも特に気持ちを切なくさせられた。
数々の魅力的な登場人物
ヨハンはもちろん、ニナも負けてはいない。優しく思慮深い女性だけれども、やはりヨハンとは双子なのだなと思わせる激しさも持ち合わせている。娼婦を装い赤ん坊と対峙するところなどは無謀さも感じられたけれど、あの純粋ともいえる無謀さがあるからこそ、赤ん坊の権力の大きさと不気味さが強調されるようにも思った(あれほど気持ちの悪い“Be My Baby”を聞いたことがない)。テンマが助けたディーターと、しみったれたこそ泥オットーのコンビも魅力的だ。二人で街を駆け回り、方々で出る火を消して回るところはハラハラしたけれどスカッとした場面でもある。
テンマを捨てたエヴァも忘れてはならない。名声と欲のみで生きる彼女はある意味清清しいほど悪女なのだけど、時折見せる寂しげな表情が、彼女は本当は美人だったことを思い出させる。あの唇の端が大きく切れ上がった恐ろしい笑みばかりが描かれる分、あの表情は印象に残る。実際は彼女も弱く傷つきやすい面も持ち合わせているのだろう。ただそれを表現する術を知らなかっただけなのかもしれない。浦沢直樹の「Happy!」で出て来た竜ヶ崎蝶子も同じような切ない表情をしたし、他では「あさきゆめみし」の葵上も同じような表情をした。誇り高い故にどうやって甘えたらいいのかわからない、今までしてきた悪事を帳消しにしてしまいそうな、思い出すと胸がきゅっとなってしまうようなあの表情は、浦沢直樹はうまいと思う。
好きな場面、好きな設定
テンマが拳銃を覚えるために住み込んだ元軍人との暮らしが個人的には好きだった。無骨な彼ヒューゴーは軍人時代に射殺してしまった娘とともに生活している。もちろん娘はヒューゴーには心を許していない。だけどテンマが作った肉じゃがを箸でうまく口に運べないヒューゴーを見て彼女に初めて笑いが戻る。若干彼女の心の許し方が早すぎる気がしないでもないが、それでもあの場面ひとつだけでひとつの物語ができそうなくらいだと思う。
また車椅子のエヴァに食事を振舞うオットーの料理の腕の素晴らしさがよい。しみったれた泥棒ではあるけれど、料理がうまいのは彼の残された良心だと思うからだ。ディーターの力もあると思う。彼の子供らしい無邪気さと時に甘ったるい正直さが、オットーの悪い部分を上書きしているのかもしれない。
あと「3匹のカエル」「なまえのないかいぶつ」。あの不気味な言葉のチョイスは浦沢直樹の類まれなセンスから出ていると思う。そしてどちらとも女の子になっている双子。あのあたりの記憶の奔流の描写はこのマンガを代表するイメージのような気がする。
ラストに向けて
前述したように浦沢直樹作品では時折ラストの展開に不満が残ることが多い。今回もそれにあたる。そしてラストに向かうまで「バラ屋敷」(ヨハンが女装してそこまでニナと区別がつかなくなるのかという現実的な疑問もあるが)やフランツポナパルタの話や、面白いのだけれど若干詰め込みすぎた感もあった。だいたいこのあたりになってくると、ここまで風呂敷を広げて畳むことができるのかという不安も広がってくる。実際ここから急速に物語はトーンダウンしていくように思われた。ヨハンの行く末はどうなったのかということは最後までわからないのはいいのだけれど、今まで派手にストーリーが進んできた分なにかもうちょっとこう何かあってもいいのではないかという気がしてしまうのだ。もちろん贅沢な話なのかもしれないけれど。
映画でもマンガでも時々あのラストってどうだったっけ?と思う作品がある。私にとってそれは映画なら「フライトプラン」(ラストを思い出すために3回ほど見た)だったし、マンガなら「20/21世紀少年」とこの「Monster」だった。もちろん他にもそう感じるものはあるのだけど、それらに共通するのはラストがあまり気に入ってはいないということだと思う。
とはいえストーリーを形作る要素はとても好みなので、また読みたいと思う。そして新たな発見をしてみたいとも思う。
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