まさに味を訪ねたくなる隠れた名作 - 味を訪ねての感想

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味を訪ねて

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まさに味を訪ねたくなる隠れた名作

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文章力
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ストーリー
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キャラクター
4.0
設定
4.0
演出
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目次

年季を感じさせる文章の魅力

食べ物に関するエッセイは自分が興味あるのでよく読む。東海林さだおは独特の目線とユニークなイラストがいい雰囲気をもったエッセイだし、最近読んだ奥田英朗のは小説とはまた違った文章で彼の個性を強く感じることができるものだった。しかし今回読んだ吉村昭のこの作品は、食事とお酒と旅に、またそれを表現する文章に年季が感じられて、食べ物エッセイによくある軽さではなく重厚な雰囲気があった。
吉村昭は作品をひとつ手がけるのに相当な取材をするという。物語の舞台の土地に行き、モデルとなる人々と話し、足で情報を得ることをいとまない人だということを何かの本で読んだ。この「味を訪ねて」は、そのような取材目的で訪れた旅先で出会ったおいしいもの、味のある店などをいかにも大事そうに紹介している。取材だからか本人の性格だからか、いった先々で出会った食べ物や店はことごとく住所録のようなメモにして、次にその地を訪れたときには必ず再度足を向けるらしい。そのメモをめくる様子がいかにも楽しげで自由で、最近旅したことのない自分はそれがとても羨ましかった。

お酒好きが語る食べ物の魅力

世の中であふれているグルメ漫画やグルメエッセイの中でも個人的に気に入っているのは「孤独のグルメ」なのだけど(あの実写ドラマはいただけないが)、残念なのが主人公の五郎がお酒を全く飲めないことだ。もちろんお酒が飲めない人は人生を半分損しているとかそういうことを言う気はないが、お酒を飲むものとしては、お酒と一緒に食べる食べ物の味の膨らみ方、その時飲んでいるお酒がなんであろうとその後味を豊穣のなものにするあの感じを表現してほしかったところではある(お酒と対照的に白ご飯でもおいしさは表現できるのだけど、若干物足りないのだ)。
吉村昭自身もかなりの酒豪らしく、時々文章中にも飲んだお酒の種類や量が書いてあるが結構な量である。そんな彼が旅先での食べ物とお酒のことを語るのだから面白くないわけがない。
食べ物だけでなく、お酒にも愛情を感じる。秋田や岩手の地酒を大事にする気持ち、食べるということを大切に思うその感じが、この作品全体に風格のようなものを与えているような気がする。
それにしても文豪の域に入る吉村昭だけど、つまみに「たたいた梅干に鰹節をあえたもの」とか「枡酒の隅に塩をのせる」とか、渋すぎるものが多い。そういうところも共感がもてて、好きなところでもある。

食べ物には金に糸目をつける、という考え

確かに美食家とかグルマンなどを自称する人はお金に糸目をつけずに、高価な食材やお酒を躊躇せずに食べたり飲んだりする。それらが決して悪いわけではないけれど、5、6切れで1万円を超えるステーキや一本100万円のワインなど見せられても手の届かないというよりも想像力の上限を超えてしまって、逆にあまり羨ましくなかったりする。本でもそれと同様のことがよくある。
この本のいいところは、吉村昭自身が「食べるものには糸目をつける」と宣言し、実際行っているところは市場とかこじんまりした店とか鮨屋でも庶民的なそういうところばかりである。とはいえ、旅先で初めて訪れた先でそのような店を見つけるのは決して容易ではないと思う。誰でも躊躇せず(敷居的にも値段的にも)戸惑いなく行ける店でありながら地のものを食べさせてくれて舌も心も満足させてくれて、庶民的な値段という店はそれはあったらいいけれど、なかなか出会うことができない店でもある。しかしながら、吉村昭はそれを見つけ出す臭覚というのかそのセンスが発達しているのか、先々で容易に(ではないのかもしれないけれど)それを見つける。そして、それらの店を惜しげもになく実名で(それも恐らくだが)紹介してくれている気前のよさに、しばらくうっとりとしてしまった。
話は変わるが、個人的に最近ラーメンの値段が上がりすぎだと思う。650円ならまだ良心的で、850円とか時には1000円以上するものも珍しくない。ちなみに私が一番おいしいと思うラーメンは京都にあって値段は500円で、帰りに次に使える100円引きのクーポンをくれる。だから実質400円だ。だからこそかもしれないが、ラーメンは値段ではない。安いラーメンにも学食のラーメンにも魂はある。吉村昭は1000円以上のラーメンはもはやラーメンでないと言ってくれた。私もその通りだと思う。

このエッセイの中で食べたかったもの

酒飲みの私としては出てくる食べ物すべてが魅力的であったのだが、その中でも特に気になったのは、長崎半島野母崎町のカマボコと岩手三陸海岸田野畑村のじゃがいもである。カマボコの製造過程から既に感じられる間違いないうまさは、口の端が緩んでしまうくらいだったし、田野畑村のじゃがいもの描写は、じゃがいも好きからすればたまらないものだった。昔北海道に初めて行ったときに食べたアスパラガスとじゃがいもととうもろこしのおいしさに言葉を無くしたことがある。それは自身の思い込みをすべて覆すほどの衝撃だった。吉村氏の書くじゃがいものうまさは私のその感激と衝撃を思い出させてくれただけでなく、また日常の“当たり前”に埋没していた私を掬いあげてくれたような気さえした。
この本の中では吉村氏が時々そばと日本酒がなぜこんなに合うのかと嘆息する場面がある。いかんせん私自身そばは好きだけれど、それほどおいしいものに出会ったことがない。そして想像はできるのだけど、そばと日本酒が合うという実感をしたことがない。これは私もこれから出会いたい味のひとつだ。

沖縄にうまいものなしの理由

何度か沖縄に行ったけれど、確かにそれほど刮目するべきものが見あたらなかったように思う。氏が食べたステーキも体験したけれど、氏の言うとおり、それほどのものではなかった。ヤギも食べたしヘビも食べたのだけど、それらは目新しいだけでさほどの味でもなかった。それを体験したときの私は、みんなもっとおいしいものを食べてるはずと直感的に感じたことを覚えている。そしてやはり吉村氏はその疑問を解決してくれた。沖縄県民の日常に食べているものこそおいしいのだと体験して文字にしてくれた。私自身、一番おいしく感じたのは観光客向けのものでなく、そのあたりの店で食べたヒラヤチーとゴーヤチャンプルとソーキそばだった。それらは目が覚めるほどおいしかったのだけど、見た目が地味なこともあり(そして自分が若かったこともあり)もっとおいしいものがあるはずと、それほど評価していなかったのだ。今思えばもったいないと思う。もっと味わえば良かったと思う。でもそれに気づかせてくれたのは吉村昭のこの作品であり、もし次に沖縄に行くことがあったなら、もっと上手に味わえるのではないかと思う。

戦時中の苦しみを忘れていないこと

吉村昭は戦時中の食糧難を経験している分、現在の食べ物があふれている実情に生理的に嫌悪している。ラーメンなどの行列にもホテルの朝のバイキングの列にも決して並ばない。とはいえ食べるという行為に対して憎悪を感じているわけでない。そうであったらこのような愛情ぶかいエッセイを書けるわけがない。
戦時中の食料難を経験している人に時にいるのが、食べるということに対して必要以上に卑屈になっていることだ。腹が膨れれば何でも良い、うまいまずいなど言えるわけがないというのがその人たちのおおまかな意見だと思う。だけど、吉村昭はそのようなトラウマを抱えながらも日々の食事を大切にしている。決して謳歌というほどのものでなく、つつましくささやかに、日々の食事を楽しんでいる。その楽しさや大切に思っている気持ちが読み手に切に伝わる作品だと思う。
吉村昭自身(もう亡くなってしまったけれど)、現在の贅沢さを経験しながらも過去のつらい気持ちを決して忘れていないのが彼の作風に重さや強さを与えていたのかもしれない。本当に彼はなにもかも忘れず抱えたまま最後まで生きたのではないかと感じた。
この作品はありがちなグルメエッセイではない。その中には様々な背景や気持ち、歴史があり、読み終わったあとしばらく思考の海に入ってしまう類のものであることは間違いない。

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