タイトルのつけ方のセンスが秀逸 - 泳いで帰れの感想

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泳いで帰れ

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タイトルのつけ方のセンスが秀逸

2.52.5
文章力
3.0
ストーリー
3.0
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2.5
演出
2.5

目次

エッセイと知らずに読んだエッセイ

奥田英朗の小説ならさほど間違いはないだろうと、内容も調べずに手にとって読んでみた。そもそもエッセイというものを私はあまり好まない。いくら好きな作家でも彼らの私生活を知りたいと思わないし、小説でない以上現実的な地に足のついた文章だろうという偏見もあるからだ。そしてエッセイというものは大抵読み終わった後に何も残さない。そういった理由で、私はエッセイというものをそれほど数は読んでいない。だから、この作品もエッセイかと気付いた瞬間がっかりしてしまい読むのを止めようかと思ったくらいだった。とはいえせっかく手元にあるのだし、新しい本もいいかと読み始めてみたら、やはり私のエッセイに対する偏見はいささか頑固なきらいがあるにせよ、あながち的外れでないことがわかった。
とはいえ全てが全てそうではなく、意外に悪くもなく、それどころか面白いなと思えるところもあったので、途中で読むのを止めなくてよかったとは思った。
エッセイというのは、何か同年代と話して感じるシンパシーのような、そうそうそう!と頷けるような軽い楽しさがあるのだなと、この本を読んで思った。それはちょっと私にとっては新たな発見だったりする。

2004年のアテネオリンピック

このエッセイは、奥田英朗がアテネオリンピックに取材も兼ねて向かい、現地で体験したことが軽いタッチで描かれている(2004年がもう10年以上にも前になることにまず感慨深くなってしまった)。もともと身軽に出歩くタイプでない作者がなんとなく流れで海外旅行にでざるを得なくなる状況は、何かしら感情移入してしまうものがある。
しかし彼には旅先でオリンピックを見るという原動力がある。ただ海外旅行でなく、世界の祭典としてのスポーツを見るという目的がある。それだけでもなにかアクティブな感じがするのは、私が限りなくインドア派であるからかもしれない。
奥田英朗はスポーツ、特に野球に造詣が深いらしい。このアテネオリンピックでも一番ページが割かれていたのは長島ジャパンの試合だった(長島氏が倒れたとか確かそういった時事的問題はあったと思うけど、詳しくないのであまり語れない)。そして野球だけでなく、スポーツ全般にあまり興味のない私は、いくら熱意が入った文章といえどそれは目をすべるばかりであまり頭に入ってこなかった。そしてこのイメージはこのエッセイ全体のイメージにもなっている。
本文中に「北島に関心を持てないのは“キャプテン翼”や“スラムダンク”に関心を持てないのに似ている」と書かれているのだけど、それと同じようにスポーツに関わる文章はあまり頭に入ってこなかった。

本文中に感じたシンパシー

かなり辛口に書いてしまったけど、わかるなあと感じたところは随所にあった。外国に行ってもそれほど現地の人とコミュニケーションをとりたくない人と、それをとることこそ旅の醍醐味と考えている風な人と2種類に分かれる。奥田英朗はその前者であり、私ももちろん前者にはいる。だからこそのシンパシーはたくさんあった。ショーのようなもので、ダンサーが踊りながら次々に座っているお客の手をとりその輪に加えて行くというときに“来るんじゃねえ”とあわてたり、中国人や白人に席を占領されていても何もいえなかったり、そのあたりは面白かった。
日本食を食べようと立ち寄った日本料理店がギリシャ人ばかり満席で入れず、“おまえらムサカ食ってろ”とか悪態をついてしまう気持ちもよくわかり、思わず吹き出してしまうところもたくさんあった。おいしかったギリシャ料理や日本料理、まずかった日本料理に対しての文章は的確でリアルで、わかるわかると面白く読めたところだった。
このエッセイで感じたことは、作者が感動したことよりも怒っているときの描写の方が面白かったことだ。それは表現に余裕がなく、リアルだった。

野球 日本対オーストラリアの試合について

オリンピックでさえもそれほど見ないし、ましてやプロ野球などほとんど興味のない私だけど、この対戦に対しての奥田英朗の落胆具合はとても理解ができた。優勝候補でありながらプロらしからぬ必死さに何か冷めてしまったと言ったら乱暴になるのかもしれないけど、高給をもらっているのだから“プレッシャーが”だの“硬くなってしまって”だのは聞きたくない。必死になるあまり、バント攻撃などされるものだからげんなりしてしまい、挙句不機嫌になってしまったのも無理はないと思う。負けるのに怯え、石橋を叩きつつも渡らないようなプレイをされると、ダイナミックな外国の選手のそれと比べると恥ずかしくなってしまうと思う。そして日本お得意の「感動をありがとう」は私も嫌いだ。そもそも自分のプレイで他人に感動を与えたいなどという言動がおこがましいと思う。あれで勝っても何も嬉しくないだろうと憤る作者の気持ちはよくわかった。
今までの努力が大事とか、必死のプレイが感動を与えるとか、精神論が行き過ぎるのはあまり好きではない。見る側が感動するのは勝手だけど、こういうの感動するでしょうというようなあおりを感じるのは面倒くさい(「24時間テレビ 愛は地球を救う」なんてひどい番組だと思う)。彼の感じた怒りは、私が日々感じていたそういう気持ち悪さをすっきりと表現してくれたようで気持ちがよかった。
ここで彼の感じた怒りがそのままタイトルになっている。このタイトルは完璧だと思う。

このエッセイの文章に対しての不満感

本文中、色々な人や状況に対して毒舌な文章が多々ある。それは読んでいて面白いし小気味よく感じるものがほとんどなのだけど、時々気になるのがそういう言葉を書いた後に括弧書きで、我ながらひどい言い方だ、とか何度も失礼、とかフォロー気味の言葉が入るのだ。これは正直いらないと思う。辛口ならそのまま言ったほうが面白いし、括弧書きでそんなように書かれると文章がくどくなってしまい、プロっぽくない。そうされるとブログのような悪い意味の軽さの文章になってしまい、個人的には好きではなかった。毒舌なら毒舌で最後までそうしてほしかったというところはある。
あともうひとつ。これを書いたとき奥田英朗は44だか45歳だったらしい。にしては文体がいささかおっさんぽくないだろうか。そこはかとない加齢臭漂う文章に、嫌いではないのだけど彼の書く小説とはまた違った趣が感じられ、少しにやりとしてしまった。

エッセイ嫌いの私がこのエッセイに何かしら好感がもてた理由

エッセイに対しては前述したように一家言ある私だけど、このエッセイは決して悪くなかった。それはただただおしゃれな文章や意味のない旅先での話だけに満ち溢れたようなものでないということは当たり前だけど、奥田英朗の感じたことをダイレクトに書いてくれているかもしれない。まずい料理、席を奪ってくる中国人、直射日光のあたる粗末なスタジアム、エーゲ海のもの足りなさ、すべてがリアルで修飾されていない。にもかかわらず旅先の非日常が伝わってくる。なぜかけなしているのに行きたくなってしまったエッセイに「インドなんか二度と行くか、ボケ!」という過激なタイトルのものを記憶している。ずっとインド人に怒っているのに、なぜか行きたくなってしまうエッセイだった(これは実際インドに行った時に、ああこのこと言ってたのかと実感できて2度楽しかった)。これほど過激ではないにせよ、ギリシャ、エーゲ海、絵画のような白い家々というイメージを見事壊してくれて、かの国は行きたい国リストに入ってしまった。
同じ読むならやはり小説の方が好きだけれど、読み物として読むならエッセイも悪くないなと感じた作品だった。ただもう一度読むかと聞かれたら読まないとは思う。

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