『ニュー・ルパン』。その言葉ですでにおかしくなっていた『ルパン三世 風魔一族の陰謀』の大失敗。
ニュー・ルパンと謳い、作られた偽物のルパン三世。
この作品は、ルパンと呼ぶにはふさわしくない作品かもしれない。
その最たる理由は、声優陣一新を含む、大幅なスタッフの入れ替えにある。
なんとあのルパン三世に、ルパン役の山田康雄も栗田貫一も、あの次元大介役の小林清志すらいないのである。
これは決してパロディ作品でも実写でもない。まぎれもない長編アニメ作品である。
なのに、彼らがいない。当然、描かれているルパンもまったくの別物になる。
ルパンの格好をした男が、ルパンと思いたいファンの前で、まるで違う声で話している。
当時、この作品に非難が飛び回ったのは、言うまでもない。
決してルパンとは言い難いが、決して万的に駄作ではない。
この際、はっきりしておくと、この作品は非常にルパン三世ファンを怒らせた駄作という位置づけを受けている。
製作側の勘定の都合で、山田康雄らメインキャストを全て排除したキャスティングを行い、今でもその音楽こそがルパンの物という大野雄二も音楽スタッフから名前を消している。
『ニュー・ルパン』を謳った結果として、この作品はルパン三世の歴史の中で、まさに黒歴史として語られて今に至る。
しかし、著者である自分はこの作品をそれほど嫌ってはいない。
どちらかというと、山田康雄を失ったのちの、栗田貫一の、『山田ルパンのモノマネ』で描かれている間にも、そもそもアニメとして、作品として面白くないものは多々あった。
今でこそ栗田貫一のルパンが確立されてきたものの、そもそも年に一回ペースでルパンを長編で描くにあたって、常に万人から『面白い』と言われるのには、初期ルパンを愛する古参ファンと、山田ルパンを知らない新規ファンの間には、ルパンという概念があまりにも違いすぎるからである。
近年のルパンは人を殺さないし、時には女事すらあまり刺激的には描かれていない。
そしてこの作品は、そのどちらでもない、全く違う『ルパン三世』であること。
それをまず理解することが必要になる作品である。
もちろん欠点は多数にある。
ルパンを始め、まったく一新したキャストは、今までのルパンを全く意識していないように聞こえてくるし、
描写の中にはまるで少女漫画のように五右衛門がゲストキャラと愛睦まじい関係を描き、冒頭ではまず、五右衛門が結婚するというシーンから始まる。
不二子に至っては、まさに小娘。死体を見て目をつぶって進んだり、あっさりと敵に捕まる様は、とても普段描かれている『魔性の女・峰不二子』とはかけ離れ過ぎている。
どういう理由があれ、ここまで突然ルパンと名乗る作品が変わってしまっては、往年のファンが怒るのの無理はない。
ここまで書いていて、『ならどこが好きなんだ?』と言われるだろう。
それを書くには、『子供ながらに見た』という点を少し条件とさせていただきたい。
その面白いと思うのは、単純にこの作品は、『ルパン三世』でなかったら、面白いのだ。
冒頭のアクションは非常に動きが良く、迫力がある。
すぐに始まる風魔一族の秘宝をめぐる話も一定の説得力があるだろう。
そしてカリオストロをオマージュした軽調なコミカルアクションに至っては、ここぞとばかりに、ニュー・ルパンこと古川登志夫の面目躍如。次元役である銀河万丈との掛け合いは声優ファンも納得の演技を見せている。
中盤、後半になってもその魅力は続く。銭型警部がルパンを追って山道を駆け上る様は滑稽でありつつ非常に力強く、ルパンへの執着心を見事に描いている。
黄金の城で戦うシーンや、古くから残されたトラップの怖さとその応用法など、見どころとしては十分にある。
これが、『ルパン三世』でなければ。ではあるが。
こうした魅力は、前著したルパンファンへの不満を上回ることは決してない。
が、前置きさせてもらった通り、子供心で見るのであれば、非常に楽しく、面白い作品なのだ。
それでも、ルパンと呼ばれることは、これからも無いという事実。
ここまで書いてみて、自分はやはりこの作品を好きでいることは、自己確認した。
しかし、あくまでルパン三世とするのであれば、やはり酷評必死の駄作と言わざるを得ない。
この作品によって、モンキーパンチと山田康雄の間には山田の死によって、もう埋めることの出来ない溝を残してしまった。
ほぼすべての作品(実写、ミュージカルなど以外全て)で次元大介を演じてきた小林清志にとっても、この作品以外『皆勤賞』を続けている今、次元を演じられなかったことへの思いは強いだろう。
もしもこの作品が、フルキャストで描かれていたら、おそらく、上質なルパンとして描かれていた可能性も自身の中にある。
自分はおおよそ声優を考えるうえで、思うことがある。
キャラクターを優先せずに、ネームバリューや声優の価格で描かれたものは、おおよそ駄作である。ということだ。
製作側が作るうえで、無理をすることは経営的に難しいのかもしれない。
しかし、アニメと軽んじられても、長い年月作品は様々な媒体で残り続け、一瞬であっても、見た人に何らしかの勘定を抱かせるものだ。
そこに、自分の都合だけで作られた『エセ』を入れられては、たまったものではない。
『嫌なら見るな』。という言葉があるが、ルパン三世を、あるいはそれ以外の作品でもいい。
『作れないなら作るな』。
そう思って仕方がないばかりである。
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