切なく哀しく、でもそれだけでない何かを心に残す物語
天才ボノボの研究から始まる
この物語を読むまで、ボノボという類人猿がいることを知らなかった。そして彼らが高い知能を持ち、時には道具さえも使いこなすことも知らなかった。もちろんバラエティなどで「天才チンパンジー」なるものは見たことがある。でもそれは教え込まれた芸の域を超えず、すごいとは思ってもさほどの衝撃は受けなかった。この物語を読んで、ボノボのことを少しだけ調べた。野生下ではチンパンジーとは違い道具を使ったりすることは見られないらしいが、飼育下では道具を使ったり、マッチなどで火をおこし、マシュマロを焼いて食べたりしていた。言葉も1000語以上記憶し、キーボードで会話をする。このあたりはこの物語と同じである。
また争いを避ける種でもあり、なにか争いなどの緊張が持ち上がったときは相手と接触(同性で)してそれを緩和するという。それは人間以外に見られない行動とされており、ボノボの知性の高さとその穏やかさを知ることができる。
この物語はそのボノボ、バースディの言語習得と会話の研究で始まる。キーボードを操り、研究者田中真と会話する。その質は芸の域では全くなく、言葉そのものの意味を理解していないと操れないものだった。研究発表の場(それはもちろん支援者から援助金を首尾よく手に入れるためのものという意味あいが大きい)で首尾よく普段以上うまくやってみせたバースティの得意げな顔が目に浮かぶくらい、緻密にすべてが描写されていた。
また世の常なのか、多くの映画でもそうであるように、往々にして研究者の上に立つ人物はその研究よりも、自らが手に入れることのできる権力に心を砕いている。この物語でも教授が2名登場するが、どちらも研究者の風上にもおけない人物だった。またそのあたりの描写も伏線として冒頭に潜んでいる。その回収のうまさは小気味いいものだった。
荻原浩ならではの子供の描写のうまさ
この物語の主人公ともいうべきボノボのバースディは3才のオス。その描写はまるで小さな男の子そのもので、時にわがままで時に愛らしく、子供ならではの魅力にあふれている。時々サルであることを忘れてしまうその描写に、作者の思い入れも感じられる。
荻原浩は元々子供の描写がうまい。幼児特有のふっくらした頬や舌足らずな話し方やおぼつかない歩き方。ものを食べるときの口の動きやその表情に愛らしさが詰まっており、作者の愛情さえ感じられる(だからこそ「千年樹」での描写にはトラウマレベルの衝撃を受けた。初めて読んだ荻原浩があれだったので、しばらく彼の作品には手を出さなかったくらいだ。今考えたら最初にあれを手にとる可能性は確率からするとかなり低いと思うのだけど)。
なのでこのバースティにも人間の子供と同じような愛らしさを感じる。不満顔やわがまま、頑張ったときに褒めてほしそうな顔、まるきり人間の子供と同じでついつい感情移入してしまう。真自身もそのように接しているからこそ、プロジェクトが頓挫しかけたときにバースティをジャングルに返そうという意見には過剰に反応してしまったに違いない。
バースティプロジェクトでわかりづらかったところ
もともと真の前任者である安達がメインで行っていたこの研究だけども、その彼が急に自殺してしまうところから全てのものが真にかかってくる。そもそも類人猿と言葉での疎通をはかろうとしているのだから、イカサマという言葉は乱暴だと思うのだけど数々の疑惑がかけられる。それを排除するために様々なやり方で研究は行われているのだけど、その説明が若干わかりづらかった。絵文字と言葉を紐づけて覚えさせていながらも文字でのやりとりもしていたり、バースディが操作するキーボードには絵文字なのかひらがななのか、絵文字だけど押せば研究者側には文字で表されるのか。そのあたりも少し分かりづらかった。最後結局はバースティがキーボードで色々な会話をしたことはボノボのみが聞き取れる音域の音で彼を操作したらしいことは理解できたのだけど、それは具体的にどのような方法だったのかがの説明がわかりにくく何度も読み返したのだけど、しっくり頭に入ってこなかったことが残念だった。(なので、ラスト近くの由紀が遺したメッセージをバースディに言わせることができたカラクリも正直分からなかった。もちろんなんとなく感動はするのだけども。)
そもそもそのようなイカサマをしなくとも、紙にかかれたキーボードでは真と簡単な会話はしていたし(紙に書かれたキーボードではイカサマの仕様がない)、そんなおおがかりなことをする必要性がどうしても感じられなかった。そのあたりが読み進みながらもどうにもひっかかったところだった。
安達と由紀が自殺した理由、大学の不透明感
そもそも安達が自殺した理由もはっきり理解できない。自らの全てを打ち込んでいた研究をプログラムの操作によってイカサマとされてしまった無念さは理解できるのだが、それで頚動脈を切るような過激な自殺方法をとるのか。あの自殺方法はなんとなくだけど焼身自殺と同じように誰かに自らの意思を強く伝えるためのような気がして、どうもしっくりこない。また安達の恋人だった由紀がそのプログラムを操作した張本人であり良かれと思ってしたことで恋人を死なせたという設定もちょっと無理がないだろうか。恋人のことを100%理解することは無理だとはいえ、ある程度のことは理解できるのではないか。研究者にそのようなことをすればどうなるか、ましてや恋人ならその性格も予測できるのではないか。安達と由紀が恋人同士であった描写が皆無な分ここは想像でしかないのだけど、どうもしっくりこない。また彼女自身の主観としての描写がなかったため、彼女の人となりを真から見た上でしか想像できなかったのも感情移入しにくかった点だと思う。だから尚、彼女が自殺しなければならなかった理由もわからなかった。
またここに大学全体を巻き込んだ金銭的な横領問題もでてくる。正直ここはあまりいらなかったのではないかと思う。バースティプロジェクトが頓挫した理由はもちろん研究者2名が自殺したという暗いものではあったけど、ここにまたそういう生臭いものをからませるのは個人的には好みではなかった。もちろん前述した教授2名はこの問題にどっぷりとつかっていた人だったしそのあたりはなんとなく予測できる展開ではあったけれど、こういう金銭的なものでなく彼らがうさんくさく名誉のみ欲しがる人物だったと言う風な展開は無理だったのかと思った。もしかしたら大学というところには実際にこのような問題はたくさんあるのだという示唆なのかもしれないが。
実際に存在する天才ボノボ カンジ
この本を読んで少しボノボのことを調べたと前に述べた。この物語とよく似た実験が為されていたのはわかったが、その動画を見ると物語を読んだだけではわからなかったボノボの、いかに彼らが賢そうで生き生きと動いている様子、そしてその笑顔がよくわかる。研究されていたボノボの名前はカンジといい、バースティを同じように母親と一緒に常に研究室で育ち、バースディと同じように母親がしていることを見ているうちにキーボードの操作を覚えたという。きっとこのカンジがバースティのモデルなんだろう。今10才を越えた彼は相手の言う簡単な日常会話は理解しているように見えた。きっとバースディもこういう風になったのだろうと思うと、安易にイカサマをしてしまった由紀自身がバースディを信用していなかったのだろうか。考えると切なくなる。
ボノボという種はもともと争いを好まないということは前に書いた。バースディが力を見せたのは唯一教授の取り巻きに襲われた真を守ろうとした時のみだった。に比べて人間はどこまでも争う。いくら欲しいものでも、もらいすぎるとあっさり残す動物と違い、人間は際限なくもっともっとと欲しがる。これはこの物語で書かれていた文章だけど、妙に心に残った。
真とバースディの最後の別れのシーン。ここは誰も悪くない、誰もがバースディのことを思ったものだった。この本の印象のすべてはこのラストにあるといってもいいくらいの、ハッピーエンドではないのだけど切なく心に響く終わり方だったと思う。
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