どこから読み始めても満足させてくれる小説
1番目の話「バナナフィッシュにうってつけの日」
これは文字通り9つの物語でなされるこの本の中で一番最初にでてくる短編。
主人公のシーモア・グラースは妻との旅行先でなんの前触れもなくピストル自殺をするが、
それまでの文脈から彼は繊細すぎる感性の持ち主であることは、無理なく想像できる。
(妻の母親が異常に彼の行動を気にしているところも読みどころのひとつ)
そんな彼が浜辺で知り合った小さな女の子と交わす会話は、みずみずしく感性豊かで、その後自ら
命を絶とうというような悲壮感は一筋たりとも感じられない。それよりも彼が話す「バナナフィッシュ」、またそれを頭から疑うことなく信じる4歳の女の子(前述の女の子)のまっすぐな眼差しまでもが苦もなく頭の中に映像化されてしまう文章は、サリンジャーならではでないだろうか。
「グラース家」
「バナナフィッシュにうってつけの日」の主人公シーモア・グラースはグラース家の長男であり、このグラース家の子供たち(と呼ぶにはそれぞれはもう成長しているけれど)は、この本のなかでよく登場する。「小舟のほとりで」のブー・ブー。「コネティカットのひょこひょこおじさん」には、主人公の一人エロイーズの昔の恋人として間接的に登場する。その昔の恋人ウォルトは、愛情とともに懐かしく思い出されている(彼は戦場に赴きながら、戦争とは直接関係のない事故で死亡する)。
別の本では「フラニーとゾーイー」(村上春樹訳では「フラニーとズーイ」)にもグラース家の子供たちは登場し、それぞれの個性と魅力を余すところなく表現されているのも読み応えのひとつ。このように他の本にも登場人物が登場して共通した世界があるのはスティーブン・キングのそれが有名だが、それは読書の楽しみを倍増させてくれるスパイスのひとつではないだろうか。
また人物の人となりを詳しく描写する必要もない分すっきりとした表現になるので、文章が頭の中で像を結びやすいようにも感じる。
サリンジャーでないと書けない珠玉の9つの物語
一番始めの短編ばかり書いてしまったが、この中に納められている9つの物語を甲乙つけるのはかなり難しい。
思春期のときに読んで共感を得ない人はいないと思われる「対エスキモー戦争の前夜」。少年時代のわくわく感と大人への憧れと疑問が手に取るようにわかる「笑い男」。「エズミに捧ぐ」非常に年若いのに爵位があるという少女。しっかりした物言いとは反対に少女らしい好奇心が丁寧な口調で語られるところに、逆に子供らしさが感じさせる逸品。「愛らしき口もと目は緑」こういったやりとりを経験していない大人はいないだろう月並みな話なのだけれど、それがなぜこうまで心地よい文章になるのか。
「ド・ドーミエ=スミスと青の時代」これはおそらく好みが大きくわかれる話だろう。しかしストーリーはなかなか見えづらい中にもサリンジャー独特の言い回しがあふれる魅力ある短編(他の本にも時々宗教のことを語る文章があるけれど、彼のほど読みやすい文章はあまりないように思う)。最後の「テディ」。けだるい一家のけだるい話なのに、どうしてこう何度も読ませる力があるのか。
サリンジャーの本はどこのページを開いてもどこから読んでも、いつでも満足させられる本であることは間違いなく、だからこそこの本を初めて読んでから読みすぎてくたびれて3回も買いなおさなくてはならなくなったのだと思う。私にとってこの本はそれこそ棺おけにいれてもらいたいくらいの本であることは間違いない。
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