ウディ・アレンの描く「イタリア的生き方」
逆境を創作の刺激に変え、なお活躍するウディ・アレン
御年80歳を越えてなお、年に1本の作品を発表し続ける驚くべき巨匠ウディ・アレ ンですが、アメリカで映画を撮り続けることが叶わなくなり、ヨーロッパに舞台を移したのが2005年のこと。以来、「人生万歳!」のニューヨークと「ブルージャスミン」のサンフランシスコでアメリカを舞台にした作品を除いては、彼の映画はヨーロッパで撮影されるようになりました。
この流れはやはり「赤ひげ」以降、ハリウッドやロシアに手を差し伸べてもらって作品をつないだ黒澤明監督のことを想起させます。映画という総合芸術は、古典に関してはいかにも芸術とありがたがるのに、一部のヨーロッパ映画を除いては、新作に関してはそのようなリスペクトはなかなか得られず、あくまでエンター テインメントとしてピンからキリまで全部同じ土俵に並びます。それはそれで清々しいことではあるのかもしれませんが、他の芸術分野よりもとりわけ厳しい商業主義にさらされているから、どれだけ映画界に貢献してきた監督であろうと、興行成績の不振や、予算超過に対して考慮されにくい傾向があると思います。
映画は大きな予算と人手を必要とする一大プロジェクトなので、仕方の無い面はあるとは思いますが、映画界にとっての宝に相応のリスペクトを示さないビジネスライクな姿勢は残念に思われます。とりわけ現在のアメリカにおいては、その金銭主義の行き過ぎのせいでミディアムバジェットの作品を製作すること自体が叶わなくなり、ドラマばかりが全盛。もしくはCGを駆使した、映画というよりはアトラクションみたいなパニックアクション映画や一部の巨大予算の作品に偏っている。文化としての映画が本当に細っている印象です。
そんな状況の中、ある種はじきだされるようにヨーロッパに渡ったウディ・アレンですが、その逆境を創作の刺激に変え、基本1年に1作品という驚異的なスピードの「マイペース」を守って作品を発表し続けている。個々の作品の出来については、全盛期よりもムラっ気があることは事実ですが、やはり感嘆すべきことだと思います。
黒澤はアメリカのやり方と折り合いをつけられず、自殺未遂にまで追い込まれてしまいますが、ウディは彼の言動からも分かるとおり、とにもかくにも「映画職人」なので、どのような状況にあっても淡々と職人らしく作り続けるということなんでしょう。華やかな映画の世界にあって、俳優をはじめとした華やかな人々に囲まれながら、本当に地味に時に孤独に、ただただ映画そのものと向き合い続けているウディ・アレン。彼の作品を同時代に受け取れることを、ただ感謝したいと思います。
ウディの笑い+ローマというエッセンス
「ローマでアモーレ」はウディがヨーロッパ資本で製作した作品の7作目に当たります。ロンドン3部作、スペイン、再びロンドンと作り、パリを舞台にした「ミッド ナイト・イン・パリ」での大成功を経て、ローマを舞台に作られたこの作品。私は「ミッドナイト〜」と同じくらいか、それより好きでした。ウディらしいシニカルな笑いは散りばめられているものの、ローマの人々とウディ・アレンとの相性はけして悪くないと思います。愛と芸術とパッションに素直に生きる、どこかまぬけなところもあるんだけれどあっけらかんとチャーミングなイタリア人のありようを、ウディは多分好きなんじゃないかと思います。
作品は群像劇になっていて、作中の4つのストーリーラインがあり、それぞれにいかにもローマ『の』アモーレらしいお話になっています。人は何のかんの言っても欲望には勝てないもので、結局「やっちまう」、その後にもっともらしく苦悩したり、正当化したりする人間の姿を笑いとともに見せるというのは昔からのウディ映画のモチーフのひとつですが、これがローマというエッセンスを加えるとよりコミカルに憎めないものになるのですね。
イタリア的生き方とは
どのストーリーも面白かったけれど、個人的に好きだったのはヘイリーとミケランジェロのエピソード。ウディ自身もジェリー役で出演していますが、「シャワーしながらでないといい声でない」 ジャンカルロの為に、実際に舞台にシャワーを持ち込んで歌わせるという趣向、馬鹿馬鹿しくって笑えました。アメリカ的「才能と金」を重視した価値観とイタリア的「好きな事を好きなようにやる、そして愛」を重視したそれぞれの価値観の齟齬がコメディを生んでいて、で、結局きりきりしているのはアメリカ人だけで、イタリア人は天然のパワーで悠々と「人生の罠」にかかることなく、愛のある人生を送るというのがいいです。
他のエピソードも、そのような大らかで考えなしなんだけど愛らしいイタリア的人生を、あるいはそんなイタリアの空気の中でこそ生まれるロマンスをコミカルに描きます。ベニーニのエピソードだけは、ロマンスでなく「降って湧いた名声と人気」についてのお話ですが、これも含め、「目の前の状況に、それが不条理なものであっても、疑問は脇に置いておいて大らかに乗っかり、楽しんでしまう。責任も整合性も脇に置いておいて、やりたいようにやる。そして結局収まるところに収まり何はともあれハッピーエンド」という流れは同じ。常に目の前のことだけがあるというかんじ。良い面そうでない面含め、それがウディの感じる「イタリア的生き方」なのかなあと思います。
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