猫が擬人されている実在人物の伝記 - イーハトーブ幻想〜KENjIの春の感想

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イーハトーブ幻想〜KENjIの春

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猫が擬人されている実在人物の伝記

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目次

作品タイトルの考察

一般的には、聞き慣れない言葉が作品タイトルに名付けられています。詩人であり、童話作家である偉人、宮沢賢治を知らないと全くイメージもできない作品タイトルなのではないでしょうか。

頭の部分の言葉「イーハトーブ」とは、宮沢賢治の造語であり、常用されている日本語ではありません。そして、造語である「イーハトーブ」という言葉も、あまり現代社会に浸透されているものではないでしょう。

「イーハトーブ」という言葉をインターネットで調べてみます。

イーハトーブとは宮沢賢治による造語で、賢治の心象世界中にある理想郷を指す言葉である(表記についてはいくつかの変遷を経ている。後述)。岩手県をモチーフとしたとされており(詳細は後述)、言葉として「『岩手』(歴史的仮名遣で「いはて」)をもじった」という見解が定説となっているが、賢治自身は語源について具体的な説明を残しておらず、異説もある。(参照:Wikipedia)

そして、一般への認知度が低いことや、宮沢賢治の独特の世界観によって意味を成す「イーハトーブ」という言葉は、宮崎賢治の幻想と言い換えることができます。

そのことから、宮崎賢治を象徴する「イーハトーブ」という言葉を用いながら、「幻想」という言葉が後ろに添えられているのだと考えられます。

また、宮崎賢治を指す「KENjI」の表記ですが、「j」だけが小文字で表記されており、明らかに目立ちます。

これは、アニメ本編を観れば明らかになることで、宮沢賢治の実在する童話作品「銀河鉄道の夜」を表す場面があります。仮説ですが、小文字の「j」は、空に昇っていく「銀河鉄道」の機関車を文字によって置換することによって表現しているものだと考えられます。

人間の表情を顔や文字で再現する手法、「顔文字」と呼ばれるものに近いものが作品タイトルに用いられているのだと考えます。

そして、作品タイトルの最後の言葉、「春」についても考えていきます。

アニメ本編を観ても、最後は春らしい締め括られ方をしていません。むしろ、イメージとしては逆の印象を持ちます。また、実在した宮沢賢治も、童話「銀河鉄道の夜」が発表された年にお亡くなりになっています。これは、アニメ本編の最後と重なる記録といえるのではないでしょうか。

個人的な解釈ですが、宮沢賢治の持つ「イーハトーブ」という「幻想」を、一般人の感覚で言い換える言葉は「理想郷」なのだと思われます。そして、「理想郷」をイメージする明るい印象をもつ言葉として、「春」という表現がされているのだと考えられます。

本編によるメッセージ性

猫の姿が擬人化されているのが、印象的な作品といえます。

故に分かりづらかったのですが、アニメ本編によって再現されているのは、宮沢賢治という偉人の伝記なのです。宮沢賢治の家族構成や、出生、経歴を辿っていくと、アニメ本編に描かれていた内容と一致します。質屋の息子として生まれていること、病弱の妹であるトシの存在、小学校の教員をしていたこと等の具体例が挙げられます。

また、童話「銀河鉄道の夜」の存在を彷彿とさせる場面も、主人公が死ぬ間際に思い付いたイメージとして描かれており、宮沢賢治の年表と重なる部分だと考えられます。

伝記としての位置付けや意義の強い作品だと考えられるので、制作スタッフによるメッセージ性においては物語本編からは垣間見ることができないように感じられます。

しかし、貧しい時代に必死に生き続け、理想郷の姿を追い求めていたのが印象的でした。

周囲の一般人からは、宮沢賢治を理解する人は少なかったでしょうし、どこか距離をおいて避けられていたのだと考えられます。また、宮沢賢治の詩や童話に注目が集まったのも、本人が亡くなった後の出来事です。

間違いなく天才であった、宮沢賢治の報われることの無かった生き様を描くことが、制作スタッフの意思だったのだと考えられます。

当作品の存在意義

宮沢賢治の伝記である当作品の存在意義について、考えていきます。

前述しているように、アニメ本編は猫を擬人化した登場人物で構成されています。擬人化されていることの意味が、全然理解できなかったのです。しかし、とあるアニメ作品の存在を発見することで、擬人化されていたことの意味を見出すことができました。

それは、1985年に劇場公開されているアニメ作品「銀河鉄道の夜」の存在です。

劇場版アニメ「銀河鉄道の夜」も、動物の姿を擬人化した内容であり、その印象を重ねる為、意図的に伝記である当作品にも擬人化する表現が採用されているのです。

そして、その制作スタッフの意図から考えられることがあるのです。

それは、当作品が、劇場公開されたアニメ作品「銀河鉄道の夜」の存在と対となることを目指して制作されたものであるということです。意図的に擬人化していることには、制作スタッフの意図が、必ず何かあるはずなのです。

それは、劇場版アニメ「銀河鉄道の夜」を観てから、原作者である宮沢賢治という人物像にも触れて欲しかったということなのではないでしょうか。だからこそ、共通のイメージを持たせ、意図的に擬人化という手法を用いたのだと考えられます。

一般的に考えれば、伝記である当作品に、擬人化を用いる表現がされていることに違和感があります。もし、これが擬人化を用いた理由ではないと考えるなら、他に擬人化が用いられた理由が見当たりません。当作品は、間違いなく、「銀河鉄道の夜」の対となることも目指している作品だのだと考えられるのです。

宮沢賢治の人物像を考察

アニメ本編を観て、率直に思ったのは、一般常識や風潮に流されることがなかった方だったのではないでしょうか。

質屋の息子として生まれながら、跡を継ぐこともなく、自分の生きたいように生きています。そして、教員を辞めてしまったり、やったことのない農業を始めたり、自分自身の想いに対して素直に生きた方だったように感じられます。当時の時代背景を考えれば、長男が家を継ぐことは暗黙のルールだったと考えられます。

そして、経験のない農業を始めるにあたって、周囲から、「金持ちの道楽」と映っていたようです。

至極当然のことであり、専門職の色が強い農業という仕事を、そんな容易に成せることでもないと考えられるのです。そして、そんな生き方が大変だったのも、賢治自身も理解しており、しかし自分の気持ちには逆らえなかった方だったのだと考えられます。

また、独特の感性を持ち合わせていたというのは、理想郷という言葉にも表れているではないでしょうか。

そして、その言葉の裏を読めば、納得のいなかい現実社会という言葉に置き換えられます。現実社会が素晴らしいと思えば、それは理想郷なのであって、理想郷という存在を夢見る必要はないと考えられるのです。当時の現実社会において、賢治が強い憤りを感じていたことの表れが、理想郷という表現であり、「イーハトーブ」と呼ばれる幻想だったのだと考えられます。

そして、賢治の行動は、少しずつの理想郷「イーハトーブ」の実現に向けて進んでいきます。

しかし、現実は、賢治が考える理想郷のように甘く成せるものではなく、あまり進捗することもできませんでした。理想と現実の中で、揺れ動き、思い悩んだ人物が宮沢賢治という方だったのだと考えられます。

ただ、賢治が理想として掲げていた「イーハトーブ」という姿は、本人の死後、創作物として注目されることになります。もっと、生まれてくる時代が遅ければ、違う何かを成し遂げた偉人だったのかもしれません。

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