男性としての夏目漱石を知りたくなった一作
不条理で美しい夢
夢の話ほど、他人に伝えるのが難しいモノはない。語るにせよ、書くにせよ、描くにせよ、だ。
何がそんなに恐ろしかったのか、何がそこまで切なかったのか、さっき瞼を開ける寸前まで、あれほど鮮明で生命力に満ちていた不思議な世界、それなのに、その一部さえ、上手く伝えることができない。時に、夢で出会った人物に焦がれるほどの恋さえしてしまうのに。
夏目漱石の「夢十夜」を初めて読んだ時、私は感動のあまり拳を握りしめて何度か振った。「Yes!最高!」そんな言葉を胸中で叫んでいたように思う。
この物語は、まさに夢だ。不条理で美しい、怪しくて切なくて奇天烈な話ばかり。なのに、何故か自分も、そんな夢を見たことがあったような気さえしてくるから不思議だ。
男性を見直すほどの魅力ーー第一夜
どの話も素晴らしいが、私は十夜の中でも、第一夜がとびきり好きである。今のところ、この短編を超えるお気に入りには出会っていない。
実は、この第一夜を読んで、男性を見直したくらいだ。こんなに美しくてロマンティックな物語を男の人というのは書けるのか、と正直驚いたのだ。
そもそも、私は夏目漱石が嫌いだった。漱石の小説が苦手というわけではないのだが、あるとき、漱石がとある大学の入学式で行ったという演説を目にする機会があり、その中に、ひどい女性蔑視発言が含まれていたからだ。いくら時代が違うとはいえ、こんな偏見に満ちたコンコンチキが“こころ”だ“マドンナ”だと書いたところで、全部インチキに違いない、と勝手に腹を立てていたのである。
ところが「夢十夜」が彼の見方を百八十度変えてしまった。
繰り返し読んでも飽きない色気
夢は、無意識の世界の顕われなのだろうか。記憶の整理の副産物なのだろうか。それとも、スピリチュアルな世界からのメッセージなのだろうか。何にせよ、夢というのは理性の管轄外であるから色気がある。「夢十夜」全体にも怪しい色気を私は感じる。これが好きなのだ。これですっかり漱石ファンになってしまったというわけだ。
この物語を読む時、私は物語自体を楽しみながら、同時にある想像をしてしまう。夏目漱石は、こうした夢を実際に見て、それを文章に仕立てたのだろうか、それとも、端からすべて創作だったのだろうか、と。
実際に見た夢に着想を得て、それを文章に仕立てたのであれば、さすが文豪である。そうではなく、夢のような奇想天外な物語を一から創作したのであれば、これもまた、さすが文豪である。どちらにせよ、畏敬の念を抱かずにはいられない。
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