わかりやすいほう?ロボットと人間という比喩
相変わらず良くわからないのに引きが上手い!
浦沢直樹の作るお話の構造は複雑で、裏に裏があって読んでるうちに整理がつかなくなる。なのに面白いのはいいところを突く要素があるからであって、ゲジヒトがゼロニウムを使った過去が蘇ったり、アトムが人類全部の人格をインストールして眠ったり、天馬博士が突然現れたり、などなど、これからどうなるんだろうという展開の広がりが素敵で読んでいってしまう。ゲジヒトが主人公のままで良かったのに、と思うけれど(浦沢直樹らしい頭脳派のクールな仕事人だ)、寝ぐせの付いたアトムの可愛らしすぎるキャラリメイクには、ときめきを覚えた。
ロボットと人間=?
ロボット的人間と、人間らしい人間に、この世の人は分けることができる。読者が薄々気づいているのは、現実世界のロボット的人間の存在という比喩であり、その魅力あるキャラとの共存というあり方のちょっときつい比喩である。また、表情豊かなウランは、大人はみんな難しい顔をしている、と言うし、実際世の社会人の中にはそうそう単純な表情を見せない人もいる。顔は本心と演技の表れであり、複雑な絵を描くキャンバスである。この作品には屈託のない表情をする、笑顔や涙の人(ロボット)と、こしらえたような考え深い表情をする、仕事人の人(ロボット)と、そしてクールな、あるいは表情筋を持たない人(ロボット)がいる。本当に笑わない人はいない。波長が違うだけだ。だけど共感と拒絶、集団と個人などの二項対立を人対ロボットに当てはめて、この作品を解釈するのも可能だと思う。
結局何を誰が作ったの?
二本の角のある悪魔的ロボットが「最大の敵」として登場し、その名もプルートウなわけだが、サハド、ボラーも何やら関係していて、それを作ったのがアブラー、ゴジ、一部天馬と、これまた分散していて理解がしかねるが、大風呂敷を広げて読者を誘っているのは、推理小説じみた謎と答えの緊張と緩和とはちょっと違う。これは「ハッタリ」なのではないかと思う。浦沢直樹の頭のなかでは複雑な構想が組み上がっていて、謎を小出しにし、うまい引きを作って毎回のネームを切っていくという作業をしていると思うのだが、一部の読者を除いては置き去り気味で、特に雑誌派で毎週少しずつ読んでいくとなると、そうそう理解が追いついているとは思えない。『20世紀少年』でも何だか膨れ上がったものが、あ、これ多分中身ないな、と途中でバレた感があったように、『BILLYBAT』でも相変わらず大いにハッタリを利かせて月にまで話を広げているように、浦沢直樹の得意技は「何だかよくわからないけど凄そう」というバブル期の金融商品のような、疑似餌なのである。それに食い付いて引っ張られていく運動が楽しくて、やっぱりついつい読んでしまうわけだ。
説得力を感じたもん勝ち
何だか面白そうなのでこれでいいや。読んでて気持ちいいのでこれでいいや。答えが理解できなくてもこれでいいや。そのハッタリに説得力を感じ、相応の代金を払う価値を感じて、実際に快感を得ることで、作者と読者はウィンウィンになっている。ここでもやもやして損した感の残る人は、浦沢直樹系ハッタリ漫画には向いていない。『エヴァ』を観て素直にエヴァの構造美やネルフの機能美に感動して、人類補完計画とか言う物凄そうな小出しの裏を話半分にスルーして今を楽しめること。キャラが魅力的だった。それだけでいい。まあ、PLUTOの場合は比較的分かりやすくて、謎も比較的明かされている方だと思うけれど。500ゼウスのおじさんは謎だけれど。もちろんハッタリの中にある本物の構想の構造美に気づく人がいれば、その人はPLUTO鑑賞の勝ち組と言える。
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