「ピエタ」の前半、中盤を3倍楽しみ、クライマックスの感動を盛り上げる情報 - ピエタの感想

理解が深まる小説レビューサイト

小説レビュー数 3,368件

ピエタ

3.503.50
文章力
4.00
ストーリー
3.00
キャラクター
3.00
設定
3.50
演出
3.00
感想数
1
読んだ人
1

「ピエタ」の前半、中盤を3倍楽しみ、クライマックスの感動を盛り上げる情報

3.53.5
文章力
4.0
ストーリー
3.0
キャラクター
3.0
設定
3.5
演出
3.0

目次

本作品を最後まで読まれた方は、行方不明の楽譜にまつわる仕掛けや、全編に溢れる柔らかい雰囲気に感動されたことと思う。しかし、正直なところ、途中ちょっと退屈した、と思われる方も多いのではないだろうか?その理由としては、18世紀のヴェネツィアなんて知らないし、ヴィヴァルディなんて音楽の授業で名前は知ってるけど、世界観がピンとこない、といったことがあげられると思う。

そこで時代背景や登場人物についていくつか調べてみた。この情報で話がよりよく理解でき、本作品を3倍楽しめると思うので、是非ご一読願いたい。

ヴェネツィアって国だった

現在はイタリアの一地方だがこの話の時点ではヴェネツィアは1つの共和国である。

ヴェネツィア共和国は海上貿易で栄華を極め、1000年も続いた国家であり、ヴィヴァルディがこの世を去った1741年が作品の冒頭に当たるが、このころには海賊の横行やジェノヴァ共和国との競合により既に国力はかなり衰退している。

物語の人物たちに物憂い気配が漂っているのも、このような背景を鑑みての事かもしれない。

そしてヴェネツィア共和国自体はナポレオンの進行などもあり、1797年に消滅し、オーストリア領になる。作品の終わりの年号は不明だがおそらくヴェネツィア共和国が遠からず消滅する、という時期に当たると思われる。

文中でさりげなくオーストリアでの戦争の話などが語られており、話の全体感にあまり関係が無いようで記憶に薄いかもしれないが、読み直してみると芸術の衰退も垣間見え、この国の将来にに大きな影がさしかかっていることがうかがえる。

ヴィヴァルディ、ピエタ以外も史実に基づいた部分アリ

ヴィヴァルディにスキャンダラスな女性関係があった、というのは歴史上の定説(映画も多くつくられている)。

また、アンナ・マリーアは実在の人物で作品通りヴィヴァルディの代表的教え子らしい。

「アンナ・マリーアのために」というヴィヴァルディ作の楽曲もある。

200年忘れられたヴィヴァルディ

1740年頃をピークとして彼の音楽は一旦世の中から忘れられ、見直されたのは20世紀に入ってからのことだ。

特にこの情報は知ってから読むとまた感慨深いだろう。

作品の後半でのザネータ、パオリーナ、エミーリアの会話を思い出していただきたい。

ヴィヴァルディの音楽が忘れられつつある事を嘆くザネータに、例え一時忘れられたとしても彼の曲はまたよみがえり巷に流れる、と説くパオリーナ。

現実にその日はやってくるのだが、それには実に200年もの歳月を要する。

この作品の中では数十年の月日が流れるが、ヴィヴァルディの音楽が世に再び流れるにはその何倍もの時間をがかかるのだ。

クラシック音楽に比すれば俗っぽい話になるかもしれないが、現代の音楽、ジャンルはロックであれポップスであれ、アーティストの不祥事、スキャンダルなどにより、一時的に世の中で流れなくなる曲はあるが、良いモノ、力があるモノは必ず曲だけは見直される。

文中にしばしば出てくる歌詞、「よりよく生きよ」は上記のような事も示唆しているように思われる。

次項、「よりよく生きる」を掘り下げる。

「慈悲」と「よりよく生きる」

「ピエタ」という言葉は本作品では慈善修道施設、捨てられた子供の育児施設として描かれているが、言葉の意味としては「慈悲」を表す。

十字架から降ろされたイエス・キリストを抱く聖母マリアの彫刻や絵画も「ピエタ」と呼ばれているらしい。

作者がこの点を考慮したかは不明だが、我々は作品の随所から深い「慈悲」を感じる。

特にそれに溢れているのは、かつて美しかったクラウディアが痩せ衰え、ひっそりと死んでいこうとするのを複数の登場人物が助ける場面だ。それぞれの人物にそれぞれの事情があり、迷いも葛藤もある。しかし以前世話になったクラウディアを、また尊敬するヴィヴァルディの大事な人をほおってはおけない、という慈悲の気持ちが物語を動かしていく。

ジーナは医薬の知識と薬を持って、ヴェロニカは金銭的負担を受け持ち暖かいベッドを提供することで、そして一見無力に見えるエミーリアは深い愛情を持って。

そのすべてにヴィヴァルディの人柄が関連しており、彼がまだ若い彼女たちを見て作った曲が祈りとして結実する。

ヴィバルディは司祭でありながら、アンナ・ジローやクラウディアといった女性との交際もしている。当時のキリスト教社会では罪深い事に当たるのかもしれないが、だからと言って彼が卑屈に生きたわけではない。むしろ生きる楽しみとして、密かにではあっても大事にその人々に接していたことがうかがえる。

また話の前半でエミーリアは自分の親をはじめとして、ピエタに子供を捨てる親たちを嫌悪する場面が描かれている。自分の素性に関わる資料を密かに取り出したり、カーニバルの時期に何度も無断でピエタの外に出る場面もある。

ヴェロニカ、アンナ・マリーア、ジーナ、本作品では名のキャラクターのほとんどに、優れた面に合わせて影の部分を用意している。

「よりよく生きる」とは単に「清く」とか「正しく」という事ではないだろう。

「むすめたち、よりよく生きよ」という詞を書いたのは若き日のヴェロニカだが、それを書かせたのは彼女が感じたピエタの娘たちに対するある種の憧れだ。圧倒的に恵まれた立場であるはずの彼女が孤児院で育った娘に憧れる、それは音楽という「愛」の表現方法を持つ者への憧れだったのだ。

そしてその詩に曲を付け、格調高い音楽とは無縁のロドヴィーゴに歌わせたヴィバルディは、この世に生きるすべての人々に些末な幸せ=日常の「慈愛」をこそ大事にしてほしいと願ったのだ。

「よろこびはここにある」という「ここ」とは音楽=「慈愛」を口ずさむその場所である。

「むすめたち、よりよく生きよ」とはどんなに辛い事があってもそれを忘れるな、という事だろう。この考えを踏まえて、クラウディアが亡くなる直前の場面を再読していただきたい。

病身のクラウディアにロドヴィーゴの歌を聴かせるエミーリア。

そこには「なによりもいたわりの気持ちがこもっていた。どんな見舞いの品よりも、クラウディアさんの心に響いたのではないだろうか」

ここからヴェロニカが自分の詩の行方を知る場面にまでにこそ、この作品のテーマが込められている。

これらを踏まえて再読していただいたとき、きっとあなたはもう一度泣ける

あなたも感想を書いてみませんか?
レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。
会員登録して感想を書く(無料)

関連するタグ

ピエタを読んだ人はこんな小説も読んでいます

ピエタが好きな人におすすめの小説

ページの先頭へ