津軽 太宰治が求めたもの
好き嫌いの分かれる作家 太宰治
太宰治は熱烈なファンも多いが、嫌いだという人も多い。嫌いな理由は生活破綻者であり、多くの人に迷惑をかけている点だと思われる。私は好きではない作品もあるのでファンとは言えないかもしれないが、太宰はただの遊び人だと思われている人がいらっしゃるならば、それは誤解であると申しあげたい。太宰治は自分の体も魂も命さえも文学のために差し出した作家だからである。
戦争中に書かれた津軽
太宰治の作品には大抵死にたがっている薬物中毒の男が登場する。作者の分身とも言える。陰鬱で毒気のある作品が多いが、1作だけ趣が違うものがある。それが「津軽」である。津軽は新風土記叢書作成のため書かれた太宰の旅行記である。本文中に「国防上言わぬほうがいいかもしれない。」という記述があり、太宰が勤労奉仕の作業服を着て旅行に出かけていることから、戦争中に書かれたものであることが推測できる。調べてみたところ津軽は昭和19年6月に起稿され、7月に脱稿している。サイパン島守備隊が玉砕し、東条内閣が総辞職した頃である。敗戦真近である。多くの作家が活動を休止する中、死にたがりの太宰治が活躍しているのは不思議である。軍部とうまくやったのかなとも思ったが、そうでもないようだ。太宰は自分が死ぬのは平気だが、家族が死ぬことは耐えられなかったようだ。家族を守ろうと必死になることで、一家の主としての普通の感覚が戻ってきたのではないだろうか。戦争の狂気が太宰の狂気を上回っていたのだと思われる。
津軽の思い出
序編において太宰の学生時代の思い出が語られている。”私は色んな教師にぶたれた。にやにやしているとか、あくびをしたとか、さまざまな理由から罰せられた。”という記述に注目した。戦争中であるから、学校は今より厳しかっただろうが、太宰は大人達の目から見て目立つほどおかしかったのだ。芝居に出てくる人物と同じ格好をしたくて紺の股引を探し回る話からも精神の病の兆候がすでに出ていたことが伺われる。この小説に暗さが全くないわけではない。しかし津軽は太宰が最も信頼しうる人々との心の交流に焦点を当てており、全編にわたって暖かい雰囲気に包まれている。この柔らかさは他の小説には見られない。太宰治という人間の人生の一瞬の光をこの小説の中に見る思いがする。私は「津軽」こそ太宰治の傑作だと信じている。
津軽人であることを自覚する
太宰は津軽の良さを友人の言動で巧みに説明している。太宰は以前津島家で働いていたT君が連れて来たSさんの家に行くことになる。そこで太宰はSさんの熱狂的な接待を受けることになるが、そのSさんの姿をユーモラスにしかも愛情たっぷりに記述していて、私はこの場面が大好きだ。”おい、東京のお客さんを連れて来たぞ。とうとう連れて来たぞ。これが、そのれいの太宰って人なんだ。挨拶をせんかい。早く出てきて拝んだらよかろう。ついでに、酒だ。いや、酒はもう飲んじゃったんだ。リンゴ酒を持って来い。なんだ、一升しか無いのか。少い!もう二升買って来い。”太宰は”Sさんの接待こそ津軽人の愛情表現なのである。”と言っているが自分自身もまた津軽人であることを確認している。
太宰の過去と金木の人々
友人達と別れた太宰はその後金木の実家に立ち寄っている。以前非合法運動に参加し、女性と心中を図り病院に収容され自殺幇助罪容疑に問われた太宰は家族に散々迷惑をかけてきた。太宰は金木の人達に相当な負い目を感じている。”金木の家では、気疲れがする。”と書いてはいるものの、”肉親を書いて、そうしてその原稿を売らなければ生きて行けないという悪い宿業を背負っている男は、神様から、そのふるさとを取り上げられる。”と嘆いており、本当は自分が育ったこの家に未練たっぷりで大好きなのがわかる。そしてまた迷惑をかけ通しだった太宰の兄たちもまた、太宰の人生においてかけがえのない人達であったことは間違いない。
たけとの再会
旅の最後に太宰は自分の子守であった越野たけに会うために小泊に向かう。太宰の母は病弱であったため、太宰はたけに育てられたと言ってよい。たけこそ太宰の母なのだ。朝一番の汽車に乗ってようやく小泊まできたというのにたけは留守であった。近所のお婆さんから運動会に行ったと教えてもらうが、運動場は広くて太宰はなかなかたけを見つけられない。太宰はそのもどかしさを次のように書いている。”帰ろう。考えてみると、いかに育ての親とはいっても、露骨に言えば使用人だ。女中じゃないか。お前は、女中の子か。男が、いいとしをして、昔の女中を慕って、ひとめ逢いたいだのなんだの、それだからお前はだめだというのだ。”太宰治の素晴らしいところはこうした小さな心の変化も見逃さないことだ。大好きな相手に対してやけになる気持ちを正直に書くことで、読者は太宰に共感する。太宰は自分の弱いところ、ダメなところをこれでもか、これでもかと私達の前に晒してくるため読者は太宰と一度も会ったことがないのにまるで友人のように思ってしまうのだ。太宰は偶然たけの娘に会うことができ、たけのいる所まで連れて行ってもらえた。その心境を次のように述べている。”私には何の不安もない。まるで、もう、安心してしまっている。足を投げ出して、ぼんやり運動会を見て、胸中に一つも思うことが無かった。もう、何がどうなってもいいんだ、というような全く無憂無風の情態である。平和とは、こんな気持ちの事を言うのであろうか。”幸せな人生を送ってきた人間にはこの光景は見えなかっただろう。地獄に落ちた人間だからこそ感じることができる愛すべき人との日常のなんでもない風景である。太宰治の全作品の中で私はこの場面が一番好きだ。晩年や人間失格では見られない優しく穏やかな作者に会うことができるからだ。太宰自身、この小説を気分良く書き終えたようで、最後に面白いことを言っている。”さらば読者よ、命あらばまた他日。元気でいこう。絶望するな。では、失敬。”太宰治から絶望するな、と言われてしまった。太宰さん、あなたからは言われたくない、と思い私はこの小説を読み終えた。
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