詩的で親密な心地よさ
カルロ・ディ・パルマの作り出す親密な世界
1986年アメリカ映画。ウディ・アレンの監督16作目にあたります。どうしても選べと言われたら、私の一番のお気に入りはやはり「アニー・ホール」と「重罪と軽罪」になるのかなーとは思うのですけれど、この作品の持つ、何とも言えない親密さには個人的な愛着がとてもあって、折に触れて何度も見返したくなるウディ作品のひとつです。
この作品が持つ親密さは、あるひとつの家族の、その内実みたいなものを群像劇で描いているということが前提としてもちろんあるのですが、本作からウディ映画の撮影監督となったカルロ・ディ・パルマの存在は大きいものがあると感じます。いつ見ても、とてもしっくりと落ち着く画です。
ウディ・アレン自身は、インタビューの中で、この映画の撮影をゴードン・ウィリスに依頼したが、スケジュールの都合で叶わず、カルロ・ディ・パルマをヨーロッパから呼んだ、と言っています。確かにその通りなのかもしれません、本当ならこれまで通りゴードン・ウィリスで撮られたのかもしれない。けれど、カルロとの仕事を通じて、ゴードン先生の映画学校からはそろそろ卒業すべき時期が来ているのかもしれないという思いに至ったのか、あるいは・・。いずれにしても、本作以降、ゴードン・ウィリスがウディの作品の撮影監督として呼び戻されることはなく、その後かなりの年月に渡ってカルロ・ディ・パルマが撮影監督をつとめることになりました。
思えば、ウディ映画を彩る撮影の巨匠たち、ゴードンもカルロも、そしてスヴェン・ニクヴィストももうみんな亡くなってしまいました。ウディ・アレンは今でもクオリティの高い素晴らしい作品を生み出し続けているけれど、どこか昔の作品のようには個人的な思い入れが感じられないのは、詰まるところやはりこの3人の撮影監督の不在が大きいのかもしれないなあ・・・としんみりと思ってしまいます。
詩的な印象を与える作りの工夫
「ハンナとその姉妹」は、なんと言ってもコンパクトなキャプション形式の章だての作りが気が利いていて素敵です。主人公が複数いる群像劇だったからということもあったのでしょうが、とてもしみじみとした詩的な印象を観る者に与えます。
ハンナ、ホリー、リーの三姉妹に加え、彼女らのパートナーや恋の相手、更にはハンナの元夫であり、後にホリーと結ばれることになるウディ演じるミッキーといった主要キャラクターたちが、それぞれ短い章の主人公となって物語を形づくってゆきます。
今ではすっかりしぶいおじいちゃんになったマイケル・ケインが、この映画ではなんともみっともない、けれどすごくリアリティのある調子の良い似非インテリ男で、映画をひっかき回すという役どころを演じています。時代を感じるなんとも言えない眼鏡をかけていて、エロ親父感が良く出ています。マイケル・ケイン演じるエリオットだけでなく、この作品では人物たちの心の声が聞かれるという仕掛けがとても面白いです。心で思っていることと、全然ちぐはぐなことばかり人間は言ったりしたりしている。そのさまが、なんとも皮肉で。でもそれが人の世なのだろうなあ、というかんじがいかにもしていて。
陽気なサンクスギビングのディナーのシーンで映画は始まり、男と女がくっついたり別れたり、またくっついたり、新しく出会ったり、悲喜こもごもがあって、次のサンクスギビングのディナーのシーンで映画は終ってゆきます。本当は仲がいいわけでもないハンナたちの両親が、ここぞとばかりにいかにもおしどり夫婦然として一緒にピアノを弾き歌う。それぞれの事情と思いを持った人々が、表面上は何も変わらぬようなかんじで、また何食わぬ顔をして陽気に集っている。
こうした「作り」の工夫によって、「友だちのようでいて他人のように遠い(©永積タカシ)」家族の良さと怖さ、人には皆色んなことがあるんだということを上手に見せていると思います。
ウディ・アレンが言いたかったこと
エリオット的な似非インテリみたいな人種をウディがほとんど憎んでいるんだろうなーということは、この作品に限らずよく分かることですけれど、のみならず、この映画が伝えていることは明白です。教養のある人もない人も、芸術的な人もリアリストも、思慮深い人も感覚だけの人も、美人もそうでない人も、若い人も年を取った人も、言わば人間は全員が愚かだし、間違う。なんのかんのもっともらしいことを言っていても、どれだけ周囲の人を傷つけようとも自分の気持ちに逆らうことが出来ず、結局したいようにする。みんなもれなく馬鹿なのだ。そういうこと。
若い頃はハンナは、ハンナだけはちゃんとしているという風に見えていたのですが、年とってから見直すと、ハンナ結構嫌な女だな・・と思い、年を重ねた自分を感じて苦笑しました。とにかく、全員がだめなんだということです。
その上で、人はまた新しく始めることが出来る生き物なのだということを、ある種の諦念を伴った希望を持ってウディは描いています。そのような楽観的な結論づけをしたことに関しては、ウディ自身は後悔していると語っていますが。
けれど、ラストシーンのホリーが妊娠した、とミッキーに告げるシーンは、私はあれはハッピーエンドなのかどうなのか、未だにはかりかねています。想像の余地を残す、印象深いラストシーンで、個人的には素晴らしいなと思います。
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