記憶を失うことでいちから生き直し始める男の物語 - 心の旅の感想

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記憶を失うことでいちから生き直し始める男の物語

4.44.4
映像
3.8
脚本
4.5
キャスト
4.0
音楽
3.7
演出
4.4

目次

あえて心を落ち着けて省みることを促す作品

スターウォーズの最新作(「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」)を見て、すっかりお年を召したハン=ソロ、ハリソン・フォードが、素晴らしく渋く年をとっていることに、その皺の刻まれた顔の素晴らしさに感嘆したこのところ。ハリソンつながりで、最近こういうしみじみとした味わいの映画が少ないよね、ということで久々に見返したこの作品。

やっぱりしみじみと良かったです。1991年の映画で、今からもう25年も前の作品になります。抑制が効いていながらも、最近の映画にはない素直なつくりに、25年前には物事は今よりもずっとシンプルであったのだなあ、と嘆息する思いでした。

作品が製作された当時、アメリカにおいては、泥沼のベトナム戦争を終え、底抜けに明るい80年代を経て90年代に入ったところで、でもまだまだ明るく浮かれていたろうな、という状況。「心の旅」が製作される前年には、あの時代のハッピーなアメリカを象徴する作品「バック・トゥ・ザ・フューチャー」トリロジーのパート3が公開されています。

そのような時期に、あえて「心の旅」のような地味で、地に足をつけて生きよう、本当の幸せって何だろうか、と見る者の心に投げかけてくるような作品を作るのが、マイク・ニコルズ監督らしいなと思います。そして主演のヘンリーを演じたハリソン・フォードもまたそのような考えの持ち主であり、マイク・ニコルズ監督を尊敬し、彼に賛同して作品への出演を決めたのだろうと思います。

当時「スター・ウォーズ」や「インディ・ジョーンズ」シリーズの大成功で、さしずめ一昔前のトム・クルーズのようなハリウッドを代表する大スターという存在になっていたハリソン。けれども彼は、トムのように内外共にエンターテナーを演じきる、というキャラクターではなく、作品を離れると非常にプライベートな人物として有名で、時に気難しいとも言われるほどです。

しかしながら、気が狂ったお祭り騒ぎのような街ハリウッドを拠点に仕事をし、生活していくにあたって、そのような厳格な線引きをして自分を強固に守るということは、ハリソンのみならず多くの人にとって、とても重要なことなのではないかと思います。その結果が年月を経て、スターウォーズ最新作で見せた彼の威厳のある顔であり、彼はとてもクレバーな人なのだろうな、と私は思っています。

同じような見地から、近年のどの出演作も素晴らしいなと思って見ている女優が、本作でヘンリーの妻サラを演じているアネット・ベニング。彼女も、美醜にしがみつくことなく、整形を施していない皺のある美しい顔で、様々な深みのあるキャラクターを演じていて大好きです。

多くのスターが現れては消えてゆく映画界において、1991年のこの映画に20年経っても輝き続ける二人の俳優が共演していることは、けして偶然ではないと思います。

原題は「Regarding Henry」

作品の原題は「Regarding Henry」(ヘンリーについて)。邦題は今見るとやや古くさい響きです。アメリカ映画は、ただ主人公の名前を冠したタイトルはわりに多いですね。邦題では結構変えてしまうパターンが多いです。個人的には邦題ってとってもむずかしいもので、残念ながら失敗しているものも多い気がします。本作も原題のニュアンスの方がデタッチ的でありながら同時に思索的な雰囲気が出ていて良いように思われます。

「ミニミニ大作戦」や「ザ・エージェント」みたいな、映画はいいのにあまりにもひどい邦題で、見たい気持ちが目減りするようなケースも時にあるので、原題は見ておいたほうが良い時がありますね。

記憶を失うことで、いちから生き直し始める男の物語

舞台はニューヨーク。敏腕弁護士のヘンリーは、経済的にも裕福で将来も嘱望されている、非常に成功した弁護士。家族の他に美しい愛人もいる。彼は仕事に忙殺されており、その流れに乗ってクライアントの、ひいては自分の所属する弁護士事務所の利益になるように、目の前の事を手際良く処理してゆく。そこには葛藤の入り込む余地はなく、表面上何の問題も無く、物事は、彼の人生はスムーズに進んでいてるように思える。唯一心のまだ柔らかい、ティーンエイジャーになったばかりの娘が、父親を冷たく見ているのを除いては。

そのような暮らしに突然の事件が降り掛かって来る。ヘンリーが何気なく入った煙草屋で、ゆきずりの男に頭部をピストルで撃たれるのだ。奇跡的に一命は取り留めたものの、身体に、とりわけ脳に重い障害が残る。ヘンリーはそれまで自分と付き合ってきた周囲の人々のことを、家族に至るまで一人残らず忘れてしまうのだ。

パワフルで、傲慢で自信に満ちたヘンリーが、よりどころ無くおろおろと気弱に、周囲の様子をうかがいながら、ひとつひとつ自分に関するデータをいちから集め直してゆく。そのようなみじめな状態に置かれた一人の男の姿を媒介として、ヘンリーのこれまでの人生とはどんなものだったのか、そして立場の異なる彼の周囲を取り巻く人々が、それぞれ「何を大事に生きているのか」の違いが見事に浮き彫りになってくる。

マイク・ニコルズ監督は、誰かを簡単に断罪したり、あるいは神聖視したりすることはなく、あくまでひとりひとりが説得力ある生々しさを持って描きます。その細やかさが見事だと思うし、自業自得という面も見せながら、根底で人間を温かく見ているまなざしがとてもいいなと思います。

私たちは皆忙しくって、つい省みることを忘れます。誰しも時々は「そもそも」に立ち返ることが必要なんだっていうことを、この映画は思い出させてくれます。そもそも、何のために生きてるんだっけな。そもそも、一番大事にしなくちゃいけない人は、一番時間を共にし、語り合いたい人は誰なんだっけな。そもそも、自分はどうありたいんだろうか。そういうようなこと。

映画のエンディングは象徴的です。名門寄宿学校に行ったヘンリーの娘が、講堂で威圧的な校長の話を聞いています。「どうしてそこまでして勉強しなければいけないかって思うでしょう。よく聞いて下さい。あなたの周囲を見回してごらんなさい、それが答えです。『competition(競争)』です」と彼女は言う。そして、子供に目を閉じさせて、心の中で「わたしは、もっと頑張ります」と唱えよ、と言う。

なんてひどい学校だ、とあなたは思うかもしれません。けれど、25年後のここ日本において、受験をする子供を持つ知人たちから、学習塾で行われていることがほとんど全く同じものだということを私は聞かされているし、また親子共にこれとそっくりそのままの刷り込みをされて、それを疑う事無く信じて邁進している人々の多さを知っています。学校の価値観も、そこまで染まっているとは言わないまでも、その価値観を否定することなど憚られる、というかんじです。本当に、実際的に、似たり寄ったりなのです。私は、少しも馴染むことができません。

子供たちが目をつむっている間に、ヘンリー夫妻と、彼らの飼っているかわいいビーグル犬が講堂に入って来ます。父娘が抱き合う。校長が「ミスタ・ターナー、まだ話の途中ですよ」と諌めると、ヘンリーは「すみません、でも僕は多くの物を失ってきたし、もうこれ以上失いたくはないんです」と壇上の校長に語りかける。すると校長はヘンリーの手に自分の手を重ね、穏やかな笑顔で「さようなら、ミスタ・ターナー」と言うのです。この辺りの演出はしびれますね。

どちらが見捨てた訳でも、どちらが勝ったり負けたりした訳でもない。ただどうありたいかが違うだけ。あなたには、選ぶことができる。マイク・ニコルズ監督はそう語りかけているようです。

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