沢山の無駄は実は必要な無駄だったのだ
舞台はアメリカ、母子家庭、日本人の母親が3人の子供たちを育て上げて死んでしまった、そこに日本からばーちゃんがやってきた。ばーちゃんは日本語しかしゃべらない。 2人の青年と1人の妹だが、これら皆日本語ができない。 これも面白かったです、単純にこういうことも有るんだろうなと妙に現実味のある話で、上のにーちゃんはお頭が良いのだけど、とんでもなくオタクで人形を集めて一人で楽しんでるようなお人。下のにーちゃんは母を思い出してミシンを踏みたいとばーちゃんに強請ります。 ここの家庭の皆は人に振り向きもされない事に夢中になるんですが、ばーちゃんが彼らの後押しをします。ばーちゃんはしゃべらないのですが、非常に饒舌なのです。 ばーちゃんを囲んでばらばらの兄弟たちは再度兄弟として生まれ変わります。不思議な映像で理解されないと認識したところから、理解が始まります。 無駄な事をしてるような時間が実際は無駄ではないのだと、何もしゃべらないばーちゃんは兄弟に語りかけます。 ピアノのコンサートでシーンと静まり返ったとき、ばーちゃんは一人立ち上がって拍手して言います、「ぐっど」こんなばーちゃんは昔は沢山居たような気が致します。
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