荻上監督オリジナル脚本の映画
荻上 直子作品の中で一番青くない
荻上 直子監督作品は、「めがね」や「かもめ食堂」や「プール」や…色々ありますが
中でも異色なのが、本作「トイレット」ではないでしょうか。
まず、気づきます、「あ、もたいさんしか出てない」と。
荻上作品にいる、いつものメンバーがいない。小林聡美や加瀬亮や
すっきりほっそりした若い女性も片桐はいりもいません。
もたいまさこと外国人の出てくる映画です。それで、外国人は、普通のそこらへんに
いるような若者外国人です。もたいさんの出す底知れない雰囲気と混ざり合うような、
意味深な部分やミステリアスさは全く持ち合わせていない外国の若者。
このコントラストが、これまでとは違うぞ、と予感させてくれます。
いつもは雰囲気のある役者が、皆そろって雰囲気を出すから、映画全体がとっても
ムーディーな感じですよね。そこが好きな方が多い。
セリフもあんまりないままに語ってくるのが荻上作品の常だったのに。
そして、海や空が出てくることが多いので、「ああ、青いなあ」という、
この「ああ」というアイテムが、今作は「トイレ」なんですね。
なんかあんまり、青くないんですね。でもね、あとでね、見終わってから、
「ああ、トイレットなあ」ってなるんで不思議です。
ばーちゃんは誰だったんだろう
おばあちゃんって、女性の最後のほうなんだなあって、この映画を振り返ると思います。
もしもう一度見る方がいれば、そんな「女性の一生目線」で見直してみてはいかがでしょう。
作中の外国人たちにとって、「ばーちゃん」は母の母ではあるけれど、ほぼ知らない人。
わからない人、で始まるのに、最後はしっかりと家族として収まる。本作品は、
その収まっていく過程が見どころなのでしょうけど、ストーリー全体がわかって、
もう一度見るなら、「ばーちゃん」目線での鑑賞になると思います。
1回目は、孫目線で見てしまうから。
それで、あらためて、今作の「ばーちゃん」は何かな、と考えると、それはもう、
老女でもなくて、祖母でもなくて、ただ「女性」なんだな、と、はっきり感じます。
もたいさんの背筋の感じがいいですね。女性は、母だったり祖母だったりするけど、
女性だから母や祖母になったのであって、死ぬまで「自分」という中から優しさや愛情を
生むのが「女性」なんだぜって、教わった気がします。何も意識していなくても
そうなるのが、女性という生き物なんだぜって。(なんだぜって言い方がしっくりきます)
「ばーちゃん」が「祖母」でなくて、月日を重ねて生きてきた女性として見えてきます。
孫たちとの距離感が遠いところから始まりますが、「ばーちゃん」にしてみても、外国人の孫と
うちとけるのは、ハードルが高かったと思います。だけど、この「ばーちゃん」は別に
無理しません。この女性の性格なのでしょうけど、孫は孫であり、孫も個人だという態度が、
孫たちの興味を引き、孫の信頼を得ることができたた理由だと思います。
きっといろんな人と、こういう風に接してきた。その延長線上に孫たちが現れたことが
うかがえます。
血のつながりは深く家族のつながりは強い
それでも「祖母」という存在は、血縁者なので、孫が「わかる」のだと思います。
家族だから分かり合えるのではなくて、「似てる」からわかるのじゃないかと。
容姿が似ることもあれば、考えや行動が似ることもある。わいてくる感情が似ていたり
受け身で感じるときの感じ方が同じようなときもあります。
作品では一人、血縁者ではない家族がいましたが、やっぱりばーちゃんと血が違うことを、
自分で勘づいていて、そのくだりが絶妙に描かれていて面白かった。
そもそも「ばーちゃん」のほうの血は、突き詰めたり騒いだりしなくて、
自分は自分として落ち着いている、そういう血みたいでしたね。そして、自分として落ち着けない時に苦しくなる。
ばーちゃんは祖母として、誰もひいきはしていませんが、「似てるからわかる」のと
「家族だから助ける」というのは同じことのようで、使っている感情は別だろうと思います。
使っている感情は別だけど、その気持ちの強さは一緒です。その両方を受けるから
家族が一緒に暮らすとき、素晴らしかったり、重かったりするのかもしれません。
この作品は、血のつながりの深さも家族の絆の強さも眺めることができました。
だけど結局は、その人を好きかどうか、なのかもしれません。一緒にいても嫌いになるばかりでは
どうにもならないので。孫たちは好いてくれる人を好きになっていった、その進行が良かったです。
別にばーちゃんは孫に、好きになってもらおうとしなかった。でも孫を否定しなかった。
否定しないのがばーちゃんの愛だったのかな、と思います。
この人の一生は何だったのか、この人の一生に意味はないのだと感じます。
この「ばーちゃん」に限らず、みんなそうなんじゃないだろうか。
何か空気を温めていくことが人に体温がある理由なのかもしれない。
そんなことを考えさせられる「ばーちゃん」の最後でした。
言葉が通じなくても、年が離れていても、相手のことを考えると見えてくる答え、それが
「トイレット」だったんですね。
新しいトイレにばーちゃんが座れなかったのが、泣けましたが、あのお家には
あのトイレがある、それがこの作品のタイトルということ。
最後に、下世話なんですけど、ばーちゃんはお金を持っていた。これは、作品を現実的にするのに
丁度良かったと思います。お財布を開けるシーンは素敵でした。私も老後に備えたいものです。
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