華やかなミュージカルの中に浮かび上がる死のモチーフを基に、現代アメリカの退廃や病巣そのものを描いた「オール・ザット・ジャズ」
カンヌ国際映画祭で、黒澤明監督の「影武者」と並んでグランプリを受賞した、ボブ・フォッシー監督の「オール・ザット・ジャズ」は、凄い映画だ。
この「オール・ザット・ジャズ」は、グランプリに値する程の重量感と風格を持った映画ではない。 だが、同時受賞の「影武者」のように重苦しいばかりの時代劇に、ややついていけない私としては、現代人の病根を描いたこの作品の方に、むしろ大いに共感を覚えるのだ。
この映画の題名の意味は、"あれや、これや”と言ったアメリカの俗語なのだそうだが、ブロードウェイに生きる人間の心象を、死のイメージまでも重ねて描いていると思う。
監督のボブ・フォッシーは、あの名作「キャバレー」や「レニー・ブルース」を撮った人で、映画の世界よりも、アメリカ演劇の本場ブロードウェイで、ミュージカルの神様的な存在なのだ。 子役、コーラスボーイからスタートして、アメリカン・ショービジネスの世界を存分に知り尽くした人なのだ。
主人公のロイ・シャイダー扮するジョー・ギデオンは、ブロードウェイの舞台演出家であり、映画監督でもある。 いわば、この映画のボブ・フォッシー監督の分身的な存在なのだ。 つまり、この映画は、ボブ・フォッシー監督の現実生活と心象をそっくり映した鏡のようなものだ。
ジョーは今や、舞台のショーの公演を前に大忙し。 オーディション、振り付け、稽古など。 実は今度のショーの主演は、別れた妻のオードリーだが、他にも目下同棲中のケイトなど、彼に関わりのある女たちが多く出演していて、このショーは、ジョーにとって、今の生活の全てをぶち込んだものだったのだ。
酒、女、ヘビースモーキング。目が覚めると、熱いシャワー。 ビバルディのレコードを聴きながら、薬を飲み、目薬をさす。 強引な一日のスタート。鏡に向かってニッコリし、「ショーの瞬間さ」。 こうして、舞台に取り組んだ、この男の一日が始まるのだ。
演じるのは、「フレンチ・コネクション」や「恐怖の報酬」の個性派俳優のロイ・シャイダー。 彼にまつわる、オーディション風景、レッスン風景、プロデューサーや雇い主とのやりとり。 鋭く、おかしく、冷ややかに、それでいて、華麗に息をのむテンポで描かれていく。
やがて彼は、疲労で倒れて、病院へ運びこまれる。 舞台の事が気になるのに、絶対安静。 顔色は蒼白、無念の思いにかられながら、ベッドに横たわるのだった。 以前から"死のイメージ"に取り憑かれていた彼は、瀕死の中で、生死の境をさまよいながら、自分の人生を回想し、幻想の死神と対話するのだ。
ショーの舞台の幕が開いた。華麗なる踊り、歌、その中には黒いタイツで踊るジョーの姿もあった。 だが、それは幻影にすぎず、彼自身は、そういう状況の中、病院で枯れ朽ちたように死んでゆく。 華やかなミュージカルの中に浮かび上がってくる"死のモチーフ"、これは現代アメリカの疲労であり、退廃であり、病巣そのものの反映のような気がします。
この映画は、私にはフェデリコ・フェリーニ監督の映画の影響を大きく受けているように思えます。 撮影も、フェリーニ映画のカメラマンのジュゼッペ・ロトウンノだし。 「生きる事ってなんだ?」「ショーなんだよ」「じゃ死ってなんだ?」「ショーなんだよ」。 生も死も含めた"人生"を、この映画は、一人の作家の精神を通して語っているのだと思う。
そして、クライマックスで聞こえてくるのは、ブロードウェイのテーマとも言える、バーリンの曲「ショウほど素敵な商売はない」。 観ていて、体が震えてくる。 頂点にたどり着いた作家が、自己の全てを語ろうとする時、やはり"死の心象"にたどり着くのだろうか。 とにかく、凄い映画だ。
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