耽美主義の作家・谷崎潤一郎の観念や美意識が生み出した魔性の女ナオミ - 痴人の愛の感想

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痴人の愛

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耽美主義の作家・谷崎潤一郎の観念や美意識が生み出した魔性の女ナオミ

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作家の三島由紀夫は、彼の著書「作家論」の中で、谷崎潤一郎の耽美主義的傾向の一連の作品、「痴人の愛」のマゾヒズム、「卍」のレスビアニズム、「秘密」のトランスフェティシズム、「金色の死」のナルシシズムなどについて、「氏の小説作品は、何よりもまず、美味しいのである。支那料理のように、凝りに凝った調理の上に、手間と時間を惜しまずに作ったソースがかかっており、ふだんは食卓に上がらない珍奇な材料が賞味され、栄養も豊富で、人を陶酔と恍惚の果てのニルヴァナへ誘い込み、生の喜びと生の憂鬱、活力と頽廃とを同時に提供し、しかも大根のところで、大生活人としての常識の根柢をおびやかさない。氏がどんなことを書いても、人に鼻をつまませる成行にはならなかった。」と書いています。

私はこの三島の谷崎論の中で語られている、"陶酔と恍惚"と、"生の喜びと生の憂鬱"と、"活力と頽廃"という言葉が、谷崎の一連の耽美主義的傾向の作品のキーワードになるのではないかと思っています。

「私はこれから、あまり世間に類例がないだろうと思われる私たち夫婦の間柄について、できるだけ正直に、ざっくばらんに、ありのままの事実を書いてみようと思います。それは私自身にとって忘れがたい貴い記録であると同時に、おそらくは読者諸君にとっても、きっと何かの参考資料となるにちがいない。殊に、この頃のように、日本もだんだん国際的に顏が広くなって来て、内地人と外国人とが盛んに交際する。いろんな主義やら思想やらが入ってくる。男は勿論女もどしどしハイカラになる、というような時勢になってくると、今まではあまり類例のなかった私たちの如き夫婦関係も、追い追い諸方に生じるだろうと思われますから。-----」

主人公の"私"が、このように語り出すところから、この小説「痴人の愛」は始まります。

この長編小説の全体が、主人公である"私"が語る話という形態をとっています。
主人公の名前は河合譲治、月給百五十円をもらっている電気会社の技師で、当時28歳の青年です。
質素で堅実で真面目な、田舎育ちの純朴な青年です。

今まで異性との交際など、全く経験がなく、趣味といえば"活動写真"を観るくらいの、そんな堅物の男の前に、浅草のカフェーの女給見習いだった、数え年15のナオミが現われるという事になります。
この主人公が、自分の懺悔話を語っている現在から、8年前の事です。

顔立ちがアメリカの映画女優のメリー・ピクフォードに似ていて、日本人離れのしたところが、気にいったと言うのです。
彼はこのナオミを引き取って、西洋人の前に出しても、肉体的な魅力において、ひけをとらないような、自分の好みの女性に仕立てあげる事に熱中していきます。

増村保造監督の映画「痴人の愛」でも、主人公の譲治とナオミとの関係を、象徴的に表す場面として表現された事でも有名な、自分が馬になり、ナオミを背中に乗せて、部屋の中をはい回るような狂態もしでかすようになります。

譲治のあらゆる計画を凝らした刺激によって、ナオミは自分の中にある"娼婦性"に目覚め、みるみる、その肉体というものが、妖しい魅力を発散するようになり、彼女自身もまた、マントの下に一糸もまとわないというような、奔放で大胆な行動に出るようになります。

譲治はナオミの肉体の魔性の魅力に酔いしれ、彼女の淫靡な支配に甘んじてしまう事に、無上の喜びを感じるようになっていくのです。
この二人の関係を描写する谷崎の筆は、甘美的でもあり、優美でもあり、とにかく谷崎の美意識、美学が見事な文体を駆使して表現されていて、その官能美の世界に魅了されてしまいます。

やがて、彼らは夫婦になりますが、ナオミはその"娼婦性"の赴くままに、次々と他の男と関係が出来て、譲治を悩ますようになってきます。
そして、彼はナオミと別れようと努めるのですが、その魅力の呪縛から逃れようがなく、屈辱的とも言える同棲を続け、親からもらった遺産を、ナオミの好みの生活に注ぎ込み、その"娼婦的な生活"の保護者としての役割に、むしろ"生き甲斐"というものを、自分の心の中に見い出すようになっていきます。

この自虐的で自嘲的な、譲治のナオミに対する、精神の在り様、関係性を、谷崎は心憎いほどの精緻な人間凝視の眼で、華麗で絢爛たる筆致で描き尽くして、見事というしかありません。

「これを読んで、馬鹿々々しいと思う人は笑って下さい。教訓になると思う人は、いい見せしめにして下さい。私自身は、ナオミに惚れているのですから、どう思われても仕方がありません。ナオミは今年二十三で、私は三十六になります。」

こういう主人公"私"の告白で、この小説は終わっています。

女がひとたび、自分の持つ魔性の性的魅力を自覚するにつれて、男に対して支配する力を発揮し、男はそれに屈辱的に甘んじるしかなく、場合によっては、男を"破滅"まで追い込んでいきかねません----。

考えてみれば、このような男女の、ある意味、倒錯した関係は、谷崎が処女作の「刺青」以来、好んで描いてきたテーマでもあり、その後の名作「春琴抄」の春琴と佐助にも相通じるものがあるような気がします。

人間というものは、いくら高尚ぶったところで、性の荒々しい暴力の前では、引きずり回される存在だという"観念"は、谷崎潤一郎という作家にとっては、彼の"作家的な美意識、美学の核"をなすもので、彼の作品の大部分は、この"観念"から生み出されたものだと思います。

なぜならば、この事は主人公の譲治を、わざわざ、生真面目な堅物にしている事からも明らかだと思います。
世之介のような、生まれながらの好色な男とは全く違います。
そして、女の魔性の妖しいまでの性的魅力に溺れ、その屈辱的な犠牲になりながら、むしろそれを男の何物にも代えがたい"幸福"と考えているところに、この谷崎という作家の本質があるのだと思います。

つまり、"ナオミ"という妖しいまでの魔性の性的魅力を持つ女を創り出したのは、あくまでも、作家・谷崎潤一郎の"観念"の産物なのです。

そして、人間というものは、性の荒々しい暴力に、無惨に引きずり回されている存在にすぎないという"観念"を、もっと徹底的に追求し、展開し、実験的な作品として完成したのが、「卍」という作品だと思います。

三島由紀夫が言うところの、女性のレスビアニズムを、当事者のひとりである、大阪生まれの女性が告白するという形態の小説ですが、この小説には谷崎潤一郎の人間存在ついての"観念"が、異常ともいえる状況の中で、更にもっと深化して、徹底的に描かれているのです。

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痴人の愛 考察

まじめな男が美少女に恋をした結果、人生が転落していく話。まじめな男が美しい女に恋をした結果、振り回されて人生が破綻してゆく、というのは他の作品や映画にも見られるテーマである。女性に不慣れで真面目であるからこそ、突然現れた美しい女に盲目状態になってしまうのだろうか。いずれにしろ、読んでいて面白い題材であることに変わりはない。この物語のヒロインである「ナオミ」は、今風に言うと性格の悪い女である。これに肉体的な美しさが伴っているからこそ、絵になるというものであろう。そもそも彼女が不細工であったら、主人公である河合譲治も気にもとめなかったはずである。物語が進むにつれてわかってくることだが、ナオミは貧乏な上、十分に愛されずに育ったようである。知らない男の申し出で簡単に娘を簡単にに委ねるというのも、親としてまずどうかしている。そういったことからおそらくナオミは両親から十分な愛や関心を受けずに育って...この感想を読む

5.05.0
  • zitkzitk
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