人生に対する選択を下すことに"生"を見い出していくドラマであり、真に人生と向き合うとはどういうことかを問いかける作品 - めぐりあう時間たちの感想

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人生に対する選択を下すことに"生"を見い出していくドラマであり、真に人生と向き合うとはどういうことかを問いかける作品

5.05.0
映像
4.5
脚本
5.0
キャスト
5.0
音楽
4.5
演出
5.0

1923年のロンドン郊外。ヴァージニア・ウルフ(ニコール・キッドマン)は、精神の病と闘いながら、初の大作「ダロウェイ夫人」を執筆している。 1951年のロサンゼルス。主婦であり母親であるローラ・ブラウン(ジュリアン・ムーア)は、「ダロウェイ夫人」を呼んで啓発され、自分の人生を断ち切ることを考え始める。 2001年のニューヨーク。クラリッサ・ヴォーン(メリル・ストリープ)は、エイズで死期の迫る詩人のリチャード(エド・ハリス)を友として愛している。

この三人は生きている時代も場所も異なるが、それぞれに抱える切ない思いと不安と苦悩によって、繋がっている。 日常と対峙し、自分の生きる場所を模索している三人の女性が、苦悩の末に自分自身で、人生に対する選択を下すことに"生"を見い出していくドラマであり、真に人生と向き合うとはどういうことかを問いかける作品であると思う。

ヴァージニア・ウルフの小説「ダロウェイ夫人」を起点として、時を超越して紡がれる三人のドラマは、いずれも「花は私が買ってくるわ」というセリフで始まる。 更に、鏡、パーティ、時間より早く訪れる客、「大丈夫?」というかけ声、女性同士のキス、といった共通のモチーフの多くは、小説「ダロウェイ夫人」を土台にしていると思う。

それぞれに、深い意味があるように見えるが、私には、決して思う通りにはならない運命を感じ始めている彼女たちが、自分の心の中は自分にしかわかり得ないと悟り、やがて孤独へと押しやられていく心の流れを象徴しているように思えた。 そして、これがこの作品の内包している"悲しさの根源"であり、彼女たちの「悲しき自立」を促してしまうことになる。 とどのつまり、人生における自立の瞬間とでもいうべき一日を綴ったドラマなのだ。

ヴァージニア・ウルフは夫に、ローラ・ブラウンもまた夫に頼って生きてきた。 一方、クラリッサ・ヴォーンは、元恋人の詩人を支える立場にあり、彼女のパートだけ男女の立場が逆転しているところに、一見、現代らしさを感じてしまう。 だが、実はクラリッサもまた、見かけの自立とは裏腹に、ある内面の依存を、物語の中で指摘されることになるのだ。 彼女の登場するパートは、人間関係もかなり複雑であり、むしろ、この複雑さにこそ、"現代の混沌"を感じずにはいられない。

ヴァージニア・ウルフの書く小説の中身が"未来"という時間軸において具体化され、三つの異なる時代が"メビウスの輪"のように、一つの"時間"として繋がっていることが、明示されていくプロセスが、何ともスリリングだ。 小説の中に書かれたイベントが具体化される一方で、女性たちの存在そのものは抽象化されていく語り口が、実にうまい。 抑制された日常を過ごしていて、生きているという実感が希薄になって来ている、私を含む現代の人々にとって、この映画は静かな共感を呼び覚ますドラマであると思う。

ニコール・キッドマン、ジュリアン・ムーアにメリル・ストリープという女優陣は、現在のハリウッド映画界で考えられる最高のキャスティングであると思う。 表情の裏に隠されたもう一つの内面の顔をのぞかせる至高の演技は、緊張感に溢れ、その会話、仕草、表情からは一瞬たりとも目が離せない。

その中で、ズバ抜けて優れた演技を見せたのは、私としては、ジュリアン・ムーアだと思う。 ややもすると、淡々と流れそうな文芸調のドラマに、スリルとサプライズをもたらした彼女の演技力は、もはや"怪物"の域に達していると思うほどだ。 ニコール・キッドマンは、元来、何をしでかすかわからないような"危険な魅力"を備えているので、ヴァージニア・ウルフというミステリアスで繊細な女性像に見事にハマっていたと思う。 メリル・ストリープに対して演技云々を語るのはおこがましいと言えるだろう。 言わずもがなの、元祖"怪物女優"だ。 メリル・ストリープとジュリアン・ムーア、この二人が向き合うシーンは、まるで時間が止まったかと錯覚するほどのオーラが漂っていたと思う。

それにしても、スティーヴン・ダルドリー監督の完璧を期した演出には脱帽した。 このような文学的なテーマを扱いながら、ドラマティックな構成を用いて、映画ならではの醍醐味をしっかりと味合わせてくれる。 三つのドラマの協和音にとことんまで耳を澄まし、リズムを大切にした精妙にして巧緻な編集術の素晴らしさ。

劇中で夫がヴァージニア・ウルフに、「小説の中で自殺するのは誰だ?」と問うシーンがある。 「詩人で幻視者だわ」とウルフが答える。 そして、次のシーンでは、クラリッサの目の前で詩人のリチャードが自殺するエピソードが挿入される。 作家、詩人といったクリエイターの"心の闇"は、常人には見えないことが多い。 それだけに、彼らが生み出すものは強い磁場を放つのだと思う。

そして、時には人を人生と向き合わせるだけの強力なパワーを生み出し、もっと言えば、"時を紡ぐ普遍的な何か"を生み出す深遠なパワーを発するのだと思う。 スティーヴン・ダルドリー監督は、そんなクリエイターに対して、尊厳の眼差しを注いでいると思う。 そして、この映画に登場する人間たちが下した決断は、結果として悲劇を招いている。 にも関わらず、不思議と暗さはない。 それは、命を賭して選び取った"生"が、最後に救済されるからだと思う。

尚、この映画は2002年度の第75回アカデミー賞で、最優秀主演女優賞(ニコール・キッドマン)、同年のゴールデン・グローブ賞で、最優秀作品賞(ドラマ部門)と最優秀主演女優賞(メリル・ストリープ)、英国アカデミー賞で最優秀主演女優賞(ニコール・キッドマン)と最優秀作曲賞をそれぞれ受賞しています。

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