静かで不気味な新感覚ホラー
不調和が生み出す恐怖
本作は死体となった『わたし』の語り(語りであって視点ではない)で物語が進行する。言わずもがな、これは外では見ることのない表現法である。
殺された少女が自分を殺した人物を地の文でひたすら呪う、という構図であっても十分に気味の悪いホラーだが、本作はその真逆で、自分を殺した友達の弥生ちゃんとその兄で少女の想い人である兄の健くんに恨み言を見守るようにその行動を語り、自分の死体を隠そうとするその心理を淡々と読み取り、終始平然とした心情であることが文体から読み取れる。
あからさまなインパクトこそないが、鬼の形相で恨み言を列挙するよりもこちらの方が遥かに狂気的であり、気味が悪い。
それに似た恐怖感を読者に与えてくるのは、弥生ちゃんの兄で『わたし』の想い人である健くんだ。
妹が友達を殺したと聞いても取り乱さず、死体を隠すことをゲームのように楽しむ。
ここだけを聞くと虫を潰して笑っているような、子供特有の残酷さのようにも捉えられるが、彼のそれはもっと淡々としていて、けれど確かに状況を楽しんでいる。
その様子を見てもなお彼に想いを寄せる『わたし』と妹もまた、物語の不気味さを助長している。
その残虐性に惹かれているというならまだ分からなくもないが、時としてそれに怯え、また時としてはそれを認識していないかのように彼を慕う。
恋は盲目とは言うが、ここまでくるとただただ狂気の沙汰である。
人の中にナチュラルに潜む悪意
そもそも『わたし』が殺された理由は、弥生ちゃんの嫉妬である。この部分の描写が非常にあっさりとしていて、ちょっとムカついたから突き飛ばして殺しちゃいました、くらいのものなのである(少なくともその瞬間においては)。
しかしそれ以前、弥生ちゃんに別段残虐な子だという設定はなく、以降も平然としている兄とは対照的に不安に駆られて泣きべそをかいたり幾度も取り乱すなど、本作で物語の前線を張る人物の中では比較的普通の感性をしているように思われる。
健くんが想いを寄せる緑さんも、一見気さくな常識人のようだが、実は暗い過去と心に闇を抱えており、こちらもただの善人とはいかない。
本作には完全にまともな人間は(描写の薄い脇役を覗いては)登場せず、また、悪意のみで構築された人間も登場しない。それが人間として当然のことなのだと言うように。
それこそ人が虫を殺すことを何とも思わないように、人の中には大なり小なり悪意と、それを悪意と見なさない心が存在している。
本作ではそれを殺人という大袈裟かつ分かりやすい悪意の象徴を用いることで、善意と悪意が同居可能なものであり、また、その境界線が非常に曖昧であることを表している。
中でも大人より社会性にとらわれにくく、自覚的な善と悪の区別の曖昧な子供の心理描写をメインにすることで、より自然に上記のことを物語として表現しているように思われる。
逆転する明暗
序盤は清楚な出で立ちと気さくな振る舞いで清涼剤のような位置付けにいるように思われた緑さんの狂気が、終盤で明かされ、驚かされる仕掛けになっている。
この明暗の逆転っぷりは、小説の技法として、という意味の他に、上述したのと同様『人の心の中には悪意が潜んでいる』ということを強調する働きもある。
その場面においては緑さんの視点に寄っているということもあって、ここまで誰よりも狂気的に描かれていた健くんが無垢な子供のようにすら見えるように描写されている。
完全に序盤とは明暗が逆転している。加害者であり殺人を犯した弥生ちゃんとその被害者の『わたし』も、物語終盤では後者の方がより狂気的に描かれている。
忘れてはいけないのは、本質的に明暗が逆転したわけではない、ということである。
親切で善意の象徴のように描かれていた緑さんと、サイコパス的な健くん。
まともから少しずれていた弥生ちゃんと、普通の女の子として描かれていた『わたし』。
逆転したのは描かれ方だけであり、どこかで登場人物自身の性格が激変するような出来事があったわけではないのだ。善意も悪意も、全員が最初から最後までそのどちらもを内包している。
幕引きにおける緑さんの存在
終盤、死んだ『わたし』を除く三人は、過去と未来を思いながら、やしろの神様の前で石垣を眺める。
緑さんの視点に寄って描かれているこの場面で、罪深い、とここでの三人は描写されている。
何も感じていない健くんと、罪悪感より恐怖心からくる不安に苛まれている弥生ちゃんと違い、三人の中で緑さんだけが唯一一抹の罪悪感を覚えていることが分かる。
子供たちより善悪の区別のついた緑さんが終盤に物語の視点(つまり物語世界の主観である)を司るということは、これから彼らは良識に乗っ取った道を歩んでゆく、という暗喩にもとれる。希望的に考えれば。
暗い考え方をすれば、さらにその後『わたし』の視点で描かれる、隔離された倉庫で緑さんによって殺された死人の霊の集まりと戯れる不気味極まりない場面に着目し、先見性のない破滅の道をこれから三人が辿ることの暗喩になっているとも考えられる。
希望と絶望。正反対の性質が同居する気味の悪い後味は、まさにこの物語の幕引きにふさわしい。
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