内田作品史上最も斜め上を行くトリックの作品
印象深い作品だが実写化・漫画化不能。その訳は・・・
浅見光彦ファンの間でも、もしシリーズ内でトップ3を挙げろと言ったらこの作品を挙げる人も多かろうと思う。しかし、この作品は今までドラマ化されてないし、おそらく今後も実写化どころか漫画化も不能であるという奇天烈な作品である。
理由として、活字という紙媒体そのものをトリックにしているからとしか言いようがない。内田氏は自分を小説の中に登場させることで浅見光彦が現実にいるかのように錯覚させるといった、読み手がどう捉えるかという心理を巧みに使った表現が多い。
この作品も、活字を読む人間、もっと言うと浅見光彦シリーズの読み手の心理を前提としている。珍しく序盤に、浅見シリーズを三作以上読んでからお読みくださいと注釈がされているのもそのためだ。
もっと言うと、内田氏が懸念しているあとがきから読む人の存在を考えると、あとがきやこの作品に関連がある白鳥殺人事件、鳥取雛送り殺人事件を読むと良かったのかも知れぬが、これらは先に読んでも後に読んでもそれなりに「なるほどね」といった結果が得られるので、そのあたりはこだわらなくてもいいかもしれない。
私は内田氏の教えに従ったわけではないが、たまたまこの作品が手に取った四作目であった。そして見事にその活字のトリックに引っかかってしまった。
しかしながら、十冊以上読み込んだ浅見フリークはどうだろうか?
3冊≦対象読者<10冊
恐らくこのトリックは、浅見シリーズを10冊以上読み込んでいるとりわけ浅見フリーク(アサミストという呼称の方がメジャーかもしれない)には、見破られてしまう可能性を感じる。
自分自身が、浅見シリーズを散々読んだ後にこの作品を再読すると、浅見シリーズ特有の水戸黄門の勝パターンの様な、一つの定番パターンの崩壊が見られるのだ。
浅見が賢兄に頭が上がらぬとか、お手伝いのスミちゃんのつっけんどんをどう思っているかとか、クライアントの距離の取り方など、三作品程度しか読んでいない人と、十作品以上読んだ人とでは、パターンの解釈が違うと思われる。
浅見がどういう人間かと多少理解したつもりでも、まだ浅見シリーズ初心者では、この作品の黄金パターンの崩壊に気づかず、最後までトリックに気づかないだろう。しかし、慣れた人だと、おそらく読みだして40ページを過ぎたあたりでオヤ?と感じ、165ページを過ぎたあたりでその疑念は確信になるはずだ。
そういう意味では、内田氏の警告は若干注釈不足だったかもしれぬが、そうかと言って熱心なアサミストに読むなとも言えない。そんな不思議な特徴を持つ作品である。
珍しく好感が持てぬヒロイン
この作品の寺沢詩織というヒロインに、どれだけの読者が好感を持ったろうか。
浅見は行く先々で被害者の遺族のとりわけ娘と恋に発展するかどうかというパターンが多いが、一方的にしつこくされている場合を除いて、ヒロインは好感が持てる女性が多い。
しつこくしてくる女性も、どこか憎めない、やんちゃな部分を感じたりする。しかし、この作品の詩織は、父の死について悲しみ、その真相を追求したいと思っているあたりは、通常のシリーズのパターンと同じであるにもかかわらず、あまり人柄に好感が持てない。
出て来て早々、彼女がスピード違反で免許証の取り消しを食らったことが判明するが、累積違反があり、スピード違反の前に酒気帯びで捕まっていることが描かれている。
この作品が公表された1991年当時は、今ほど酒気帯びの罰則が厳しくなかったのは事実だが、お世辞にも素行がいいとは言えない。親が甘やかして育ててしまったのかも知れぬが、アルバイトで生計を立てている女性の車がロードスターというのも、彼女が見栄っ張りであることを彷彿とさせる。
作中も、ヒステリックで頑固な言動が目立ち、どうも容貌も地味でしゃれっ気がない、しかもポリシーとしてそうしているというよりは、オシャレを勧める人への反発や意地と言った幼い感情でそうしているというあたり、かわいげがない。
しかし、人物像としては非常にインパクトや個性を感じ、実際にいそうなムカつく女性としてはリアリティに富んでいる。彼女には気の毒だが、少し聡明さがあったら、トリックにかからなかったろう。彼女が短慮な人間だったから、トリックに引っかかってくれたとも言える。極端な話、秋田殺人事件の望月世津子位の思慮深さがある女性なら、浅見に面識がなくてもトリックは成り立たなかったろう。
内田氏はそういうつもりで彼女を描いたわけではないかもしれないし、可愛らしいちょっと感情の起伏が激しい、憎めぬ女性ヒロインとして描いたのかもしれない。しかし読み手としては、彼女が世慣れしていない上に思慮深くないおかげで作品、トリックを楽しめたとも思えてしまう。
柳川の旅情
この作品はトリックの大胆さのみならず、福岡の柳川の旅情を、まるでその場に訪れたかのように楽しむことができる作品でもある。内田氏の長編では、事件が社会派だろうと背後に大きな何かが渦巻いていでも、ふと旅情や文学を思わせる、舞台になる土地の風物をヒントとして盛り込んでくる余裕のようなものを感じる。柳川のシーンではウナギのせいろ蒸しに生唾がゴクリとなるが、このシーンも熱心なアサミストには、ウナギより気になるなぁ~と思うことがあるであろうシーンである。
旅情に浸るか?詩織の目の前の木下を気に掛けるか?ここでアサミスト度、と言ってもいいものか、読者としての黄金パターンを見破る目が問われるかもしれない。
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