家族ドラマがじんわり効いてくるストーリー - だから荒野の感想

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だから荒野

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家族ドラマがじんわり効いてくるストーリー

3.53.5
文章力
3.0
ストーリー
3.5
キャラクター
3.0
設定
3.5
演出
3.5

目次

冒頭のストーリー展開のうまさ

この小説の冒頭は、読んでいてなんとも腹が立つうまいストーリー展開だ。主人公の朋美は専業主婦で、普段から夫や息子たちから軽んじられている。だからこそ自分の誕生日は特別な非日常で演出し、家族から祝ってもらいたいと思っていたのに、皆の態度はひどいの一言だ。思春期の息子はしょうがないとして、夫である浩光は愛情どころか人としてどうかと思うような言動ばかりで、本当にうんざりさせられた。
そもそも朋美の誕生日を祝うという気持ちがまるでない。だから自分が動いてやるという気持ちが見え見えで、あろうことか、レストランまで朋美に運転させるというひどさだ。それだと主役の朋美がお酒を飲めないのに、まったく思いやりというものがない。
またこの日のためにはりきって服を買いメイクした朋美に、ほめるどころか馬鹿にしたように貶しつづける。しかも息子の前でだ。同調する息子を注意するどころか一緒になって朋美を貶めるその様子は、本当に読んでいてイライラした。
たしかに専業主婦ゆえに流行などに疎く、世間知らずなのかもしれない。でもそれは外に連れ出してやらない夫のせいでもあるのではないだろうか。
でもこのように物語を読んで腹が立つというのは、登場人物に感情移入しているからに他ならない。だからこの冒頭部分からどんどんストーリーに入り込むことができた。

小気味良い、朋美の家からの脱出場面

だからこそ、レストランで堪忍袋の緒が切れた朋美が車ごと出て行った場面は、とてもすっきりするものだった。そして車とお金がある分、今からどこにでも行けるという選択肢の多さの自由感に、こちらまで酔いそうになったほどだ。
またしばらく東京でウロウロしているのもリアルでよい。どこか決心がつかぬまま、今までしたことなかった一人での食事や外出に浮かれている朋美の気持ちが手に取るようにわかった。一人でする食事の楽しさ、映画、買い物。今までを取り戻すように没頭する朋美は、時間がたつにつれ、寂しさよりもどんどん気持ちが解放されていくように思えた。
特に高速道路など、いろいろなところで不慣れだった運転が、勘を戻しながらうまくなっていくところなど小気味良い。イコール、行動範囲が飛躍的に大きくなるということだからだ。
朋美は、なんとなく「昔つきあっていた男性に会う」という中途半端な目的のまま長崎に向かうのだが、その道中でさまざまな経験をする。それらは災難というものもあったけれど、全体的には朋美にとってはかけがえのない経験だったのではないだろうか。
車で走る自由感、不機嫌な家族を放り出して自分のために生きるということ、でもそこには確かに守られている場所があったということ。
そういったものをこの経験で朋美は実感できたのだと思う。

女友達の再婚という現実

メールでやりとりこそしていたものの10年来出会っていなかった女友達千佐子の存在もなかなかリアルだ。離婚経験を持つ彼女は、朋美の脱出を心から応援し、なにかあったらおいでと言ってくれていた。だから、朋美は千佐子も同様独り者なのだろうと決め付けていたのだけど、彼女と会ったバーでいきなり婚約者を紹介される。自分と同じように一人だと思いこんでいた朋美は、どこか突き放された感じになってしまい、素直におめでとうと言えなかった。結婚式は来てねと言われた時に、とっさに「わからない」と言ってしまったところに、その気持ちの動きを感じることができる。千佐子も10年ぶりに会うというその日にわざわざ婚約者を連れてくることもないだろうとは思ったけれど、そこはそれでリアルなのだろうと思えた。
このことで東京に見極めがついた朋美は、その夜から長崎へ旅立つ。すこし踏ん切りが悪かった朋美の背中を押すのに、これはよい出来事だったのだろう。
この女性二人が久しぶりに会っている場面で、離婚してバリバリ働いていた印象だった千佐子が、婚約者に甘えるただの女性に見えた瞬間があった。この瞬間こそ、朋美が今すぐ東京を離れようと思った瞬間だったのかもしれない。

「逃げられ夫」というネーミングにこだわる浩光

浩光の口癖が「社会じゃ通用しないぞ」や「馬鹿にされるぞ」だ。それだけで、浩光がどのような人格なのかよくわかる。これから想像できるのは、馬鹿にされることを恐れ、権力に弱く、自分を上位にもっていこうということばかりに尽力する、小さな男だ。だから女房に出て行かれた「逃げられ夫」という言葉に愕然とし、自分が追い出したんだと思い込もうとする。そのどこまでも自分本位な人格に、どうしてこんな男と結婚したのかという気持ちが拭えなかった。
そもそも女房が出て行って行方不明だというのに、次のコンペで現地まで送るはずだった若い人妻の住所が書かれたメモの行方ばかり気にしている。朋美が住所を書いたメモの入ったゴルフバックを車ごと持っていってしまったからだ。そのバッグや住所の行方ばかり気にしている浩光がどれほど自分の嫌う「小さな男」になってしまっているのか気づいてもいないところが、逆にコメディチックでもある。
登場人物の人格を表現するのにこのやり方はとてもわかりやすいと思う。変に説明されるよりの想像しやすいからだ。
同じように浩光の母、朋美の義母である美智子の口癖は「驚いちゃうわ」だ。これだけで美智子がどんな人となりなのか、手に取るように分かる。そして朋美との関係も容易に想像できる。
このやり方はシンプルだけど、個人的には好きな演出だ。

女に車を奪われて、ヒッチハイクで長崎へ

サービスエリアで男に身一つで車から追い出されたという女と朋美は出会う。そして同情から車に乗せ、相手が女性という心安さから道中いろいろな話をして気が緩んだのか、あっさりと女に車を盗まれてしまう。買い揃えていた服、生活用品、本などすべてだ。ここでなぜか朋美にそれほど怒りの気持ちが出ていないのがどこかしら哀しく、これからどうなるのかとハラハラしてしまった。
結果ヒッチハイクをして、老人を乗せる若者の車にのせてもらうことに成功した朋美は、そのまま老人の家でやっかいになることになった。怒涛の展開だけどストーリー展開に無理はなく、ストーリーのためのストーリーという違和感がなかったため、ここまで一気に読み込むことができた。
老人は広島原爆を経験した語り部で、精神的に研ぎ澄まされた人生を生きている人間だ。各地を講演して回っている途中、朋美を拾ったということになる。運転していた若者は老人の助手で亀田という。しかし好青年だった亀田はどうやら老人のお金を盗んでいるという疑いを朋美は持つようになった。その疑惑を老人にぶつけたときに彼が言った言葉がある。「そうかもしれないし、そう思ったこともあるが、でも彼と一緒にいることでかけがえのない経験をした。だからもういい」というような言葉だ。
一体どういう生き方をしたらこんな僧侶のような心境になれるのか。そもそもこの老人の話し方は穏やかでゆっくりで、広い川のような、古い寺のような、そういうものを感じさせる。
そしてこの老人の気持ちは、車を盗まれた時に朋美が女に対してそれほど怒りを出さなかったことによく似ている。
この老人に出会えたことこそ、朋美の旅の大きな収穫だったのだろうと思った。

少しすっきりしない悪者二人の結末

朋美の車を盗んだ女と、老人の小さな蓄えを丸ごと奪った男。この物語では両者は捕まってもいないし、どうしているのかということさえわからない。これが少し気持ちの治まりが悪い感じがした。
単純に捕まればいいのかというものではないのだけど、この二人の結末の書かれ方があまりにも中途半端な気がするのだ。どんな形にせよ、この二人のことはどこかで書いて欲しかった。
とはいえ、この作品は、冒頭は朋美に対する家族の軽視や悪意、貶める言葉などが続き、ページを繰るごとに、だんだんそれはなりを潜めていく。時々浩光の馬鹿な言動が垣間見えるが、それ以外は悪意よりも善意の表現に重きを置いているように思えた。
罪を働いた二人の結末が描かれていないのも、この流れを重視したからかもしれない。そんな気がした。

「東京島」以来の当たり作

実際の発行年月日は知らないけれど、桐野夏生は「東京島」で初めて知った。あれがなかなか良かったので他の作品もいくつか読んでみたのだけど、なかなか自分好みの作品には出会えずに来た。だからこの「だから荒野」は、「東京島」以来の当たりとなる。
当たりがある作家なら、もう少し他の作品も探してみよう。そう思わせてくれた作品だった。

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