巧みな手法を駆使した倒叙ミステリの傑作 「黒い福音」
物資が窮乏している、戦後の日本。バジリオ会に所属するグリエルモ協会は、日本への救援物資の横流しで莫大な利益を上げ、教会の勢力を拡大していた。指揮をしているのは、バジリオ会の日本管区長フェルディナン・マルタン神父。それにグリエルモ協会の主任司祭ルネ・ビリエ神父や、元は敬虔な信者だったが、今はビリエ神父と愛人関係にある江原ヤス子など、多数の人々が関わった大掛かりな犯罪であった。
闇ブローカーの裏切りにより、警察の摘発を受けそうになったこともあったが、日本人信者を犠牲にして切り抜けた。しかしこの件で教会は、ある男と、深い関係を持つことになる。表面上は、順調に発展しながら、それから七年の月日が流れた。
新しくバジリオ教会の神父になったトルベックは、信者の女性とのアバンチュールを楽しむ日々を送っていた。ある日、信者の生田世津子と出会ってトルベックは、激しい求愛感情を覚える。その一方で、教会の会計係に抜擢されたトルベックは、S・ランキャスターというイギリス人の貿易商を紹介される。
このランキャスターこそ、七年前の事件をきっかけに、教会の裏側に深く食い込んだ、闇の世界の住人であった。彼はトウキョウ・ホンコン間に新空路を開設する某国の航空会社に人材を送り込み、麻薬の運び屋にしようとしているのだ。そして、その人材として目を付けたのが、生田世津子だったのだ。そうとは知らず、ランキャスターの力で、スチュワーデスになった世津子。
しかし、トルベックから真実を聞いた彼女は、運び屋になることを拒否。困ってランキャスターに相談したトルベックだが、彼の命令は知り過ぎた女を殺せというものだった。逡巡しながらも、ランキャスターのお膳立てに乗ったトルベックは、遂に最愛の女性を殺してしまった。
生田世津子の死体は、中央線O駅と高久良町を流れる玄伯寺川で発見された。当初は、自殺だと思われたが、司法解剖によって殺人と断定される。その後、警察の捜査によって、トルベック神父が浮かび上がってくる。ロクサンと呼ばれる藤沢六郎部長刑事と、S新聞社の佐野記者は、それぞれ独自の動きで、有力な情報を入手した。
その間、意外な形でトルベックの名前がマスコミに露出して、報道陣は過熱する。しかし、バジリオ会の態度は強硬であり、報道も警察も、深く踏み込むことが出来ない。遂に、トルベックを重要参考人として訊問した警視庁だが、彼の頑なな態度に、これも空振りに終わった。しかも、解放されたトルベックは、教会の命により、突如、帰国してしまったのだ。藤沢刑事や佐野記者は、ほぼ真相に達するが、それも虚しく、事件は迷宮入りしてしまったのだ。
この松本清張の「黒い福音」は、実在の事件をモデルにした作品だ。当時の日本を震撼させた、事件の概要は、昭和34年3月10日、東京都杉並区の善福寺川で、BOAC(英国海外航空会社)スチュワーデスの武川智子さんが、他殺死体で発見された。死因は扼殺。警察の捜査で浮かび上がった容疑者は、カトリック系のドン・ボスコ修道院の会計主任、ベルギー人のベルメルシュ・ルイズ神父であった。
因みに、ドン・ボスコ修道院は、戦後、強引な布教活動で施設を増やし、さらには、ララ物資の砂糖横流し事件や闇ドル事件を引き起こし、問題視されていた。神父が容疑者、しかも殺人の動機が痴情のもつれらしいとあって、マスコミは沸騰。神父の無実を信じるカトリック信者の発言もあり、侃々諤々の大騒ぎとなったのだ。さらに、重要参考人として訊問を受けたベルメルシュ神父は、これを乗り切り、解放されるや帰国してしまったのである。物証の少なさと、重要参考人の帰国により、捜査は頓挫。事件は迷宮入りしてしまったのだ。
この事件が話題となったのには、三つの理由がある。ひとつは、殺された女性の職業がスチュワーデスだったこと。昭和30年代の女性の最先端の職業だったスチュワーデスが殺されたというだけで、センセーショナルな話題となったのだ。
もうひとつが、カトリック系の外国人神父が、容疑者として挙げられたことだ。聖職者が犯罪に関わったかもしれないという可能性は、当時の人々に大きなショックを与えたのだ。
そして最後のひとつが、外国人が関係した犯罪が起きた時の、捜査の壁だ。敗戦による占領統治を経た昭和30年代の日本は、まだ国際社会の中で低い地位に甘んじなければならなかった。そうした現実の状況が、神父の帰国に対して手をこまねく結果となったのだ。事件の迷宮入りは、戦後の日本の置かれた状況を、はからずも浮き彫りにしたのだ。
こうしてポイントを並べてみると、いかにも松本清張が食指を動かしそうな事件だということが、よくわかる。松本清張の事件への考察は、まずエッセイ風の論文から始まる。昭和34年8月に発表した「『スチュワーデス殺し』論」だ。清張は論文で、「私はカトリックには無関係で、何らの恩怨もない。ただ、信者が盲信のあまりベルメルシュ神父を頭から無条件にかばい立てるので、少々腹が立ってこの一文を書く気になったまでだ」と、執筆の動機を明らかにしながら、事件の全体像を把握する。
ベルメルシュ神父を犯人と仮定して、緻密な検証を進めるのだ。その一方で、"非常に空想的な想像であるが"と断りを入れながら、殺人の背後に第三の人物の指示があったのではないかと、大胆な推理をする。そして、「明瞭なのは、この事件の捜査が壁につき当たったのも、ベルメルシュ神父の帰国を警視庁が知らなかったのも、要するに日本の国際的な立場が極めて弱いからである。そして日本の弱さが、スチュワーデスという一個人の死の上にも、濃い翳りを落しているのである」という意見表明で、締めくくったのだ。はっきり言ってしまえば、この論文で「黒い福音」の内容は、言い尽くされていると思う。
そして、この「『スチュワーデス殺し』論」の三か月後に連載が開始された「黒い福音」は、二部構成の物語となっている。第一部は、教会側の視点で、トルベック神父が恋人の生田世津子を殺害するまでの経緯が、教会の堕落を絡めて描かれている。第二部は、警察と新聞記者の視点を中心に、捜査陣が敗北するまでの経緯が描かれている。殺人が起きるまでは、犯人側の視点であることから、この作品は倒叙ミステリになっている。
この倒叙ミステリの利点は、犯人の心理を深く掘り下げられることにある。清張はこの利点を十全に生かして、希望に燃えた神学生が神父になり、やがて教会の腐敗に取り込まれ、遂には殺人者となる過程を活写しているのだ。殺人前後のトルベック神父の惨憺たる有様は、物凄い迫力だ。
さらに、この作品が倒叙ミステリであることには別の理由があるのだと思う。「『スチュワーデス殺し』論」の中で、"非常に空想的な想像"といった、第三の人物を登場させるための仕込みである。第三の人物----この作品のS・ランキャスター----は、あくまでも清張の想像なのだ。
ノンフィクション・ノベルの体裁をとったこの作品に、いきなり作者の想像が混入したのでは、読む者が戸惑ってしまう。だからこそ清張は、救援物資の横流し摘発の件で、教会とランキャスターの関係が出来たことを匂わせるのだ。教会側の視点で語られるからこそ、その存在が無理なく物語に組み込まれているのだ。
小説の作法で見れば、確かに巧みな手法であると思う。だが一方で、ランキャスターの存在は、この作品のノンフィクションの部分の味わいを薄めてしまった感があるように思う。それはラストに使われた、BOAC極東航路での密輸事件の摘発についても同様だ。
当時起きた実在の事件を、物語のオチに持ってきた着眼は、確かに素晴らしい。しかし、スチュワーデス殺しと密輸事件の関係は、定かではない。それを結びつけた結果、どうなったか。ノンフィクション色が、さらに弱くなってしまっているのだ。
この作品は、作家・松本清張とノンフィクション・ライター・松本清張が、力一杯、綱引きをしているようなイメージがある。結果として、作家としての面が勝ったのは、やはりこの作品が、小説だったからだと思う。
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